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November 07, 2004

『日本人は思想したか』by吉本隆明・梅原猛・中沢新一

日本人は思想したか
吉本 隆明 梅原 猛 中沢 新一

新潮社
1998-12
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吉本ばななの父であり詩人・思想家である吉本隆明、哲学者の梅原猛、宗教学者の中沢新一による対談集。

哲学、仏教、民俗学、和歌・・・さまざまな側面から日本の思想について考察した書。
514円の文庫本なのに中身ぎっしりです。
仏教なんて誰が誰だかわからなかったのに、空海、道元、親鸞といった人たちが
それぞれどんな仏教を展開したかもわかります。

中でも私は梅原氏による、人間中心主義ではもうダメなのではないかという考え方に
共感しました。
梅原氏の著書は引き続き、読みたいと思っています。
その梅原氏の発言を以下にいくつか抜粋します。

大学の哲学科では、西洋の哲学を勉強する。
そこには日本に哲学はない、あってもつまらないものだという通念がある。
(中略)
もうひとつは、私が学生時代からすでにぼんやり考え始めていたのですが、
西洋の近代思想は崩壊する。
(中略)
西洋の哲学のようなものを求めても日本にはないんですよ。
わずかにあるとしたら仏教か儒教なんです。


マルクス主義では、人間と自然の関係が、自然弁償法なんていうけれど、
人間が自然支配することは無条件にいいことだとかいう考え方がそこに存在している、
と僕は思いますね。


たとえていうと縄文時代に帰れといっても、縄文の人口は十万、多くて十五万だということになると、
一億三千万の人間を十五万にしないと生きられない。
それを十五万じゃなくて一億三千万人が生きるというのはやはり科学技術があるから
それができるというふうに思うんですよ。
その意味で私は反科学主義や反技術主義ではない。
ただしもう一度、技術概念を、人間の自然征服というような概念から解放し自然との共存を図る・・・


いま空気中の炭酸ガスが0.03%か、それが今の速度でいくと一番遅くみて2150年だと3%になる。
3%というのは十分、人間の活動能力を奪う。
ということになると、もう2150年を超えては人類は生きられないという結果が出てきている。
ということを東北大学の学長の西沢潤一さんがいってるんですね。
そういうことを考えると、もはや近代の、人間が自然を支配していくという考え方は基本的に
否定されなくちゃならないということになる。
だけど、その考え方はずーっと遡っていくと、近代になってはっきりしたけど、どうもキリスト教にも
すでにそういう人間中心主義の考え方がある。
あるいはギリシャの哲学にもそういう考え方がある。
そして人間はやっぱり神の似姿であるので、すべての動植物に優位している。
人間が動植物を支配する権利を持っているという考え方がキリスト教にもギリシャの哲学にもある。
そういう考え方にまで至らなくちゃならない。

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Comments

梅原先生はパワフルでエキサイティングですよね。
最近読んでいませんが、このエントリーを読んで、また梅原先生が読みたくなってしまいましたよ。

わたしのサイトに出入りしている青年が、大学で哲学を学んでおりますが、「哲学は西洋にのみある。東洋においてかろうじて哲学と呼べるものはウパニシャッドのみで、中国には思想はあるが哲学はない」と豪語しておりました。
どうやら西洋至上主義によって構築された体系に所属するものだけが哲学と呼ぶに値するという教育を受けているようです。
ちょっとびっくりしましたがね。
哲学を学ぶ最先端の現場であるはずの大学の哲学科が、そんな何十年前の考え方だよ!? って姿勢のままじゃ、どーなるんだ? って気もします。うにゅうにゅ。

Posted by: akiko | November 07, 2004 at 11:58

梅原先生といえば、最近ではスーパー狂言が衝撃でした。笑劇というべきか。
以前、うちで書いたことあります。ご参照くださいませ(TB送りますね)。

もうね、すごいものです。
特に、硬派の梅原さんを知ったあとで見ると、衝撃率がいや増しに増すので、おすすめw
梅原さんが評論などのお堅い文章で主張してることと同じ主題なんですが、スーパー狂言では、何かがはじけ、何かが吹っ切れています。
「糞尿、バンザーイ! 糞尿、バンザーイ!」
で終わる狂言「王様と恐竜」はネット上で台本が読めまする。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/play/umeharatakeshi02.html
裏ウメハラ、ぜひご堪能くださいませ。

Posted by: overQ | November 07, 2004 at 15:42

大学の先生たちというのは、結局は自分の専門にしがみついて
いる人が多いように思います。それは哲学に限らないようで、
たとえば、いまだに「経済学はマルクス経済学以外にない」な
んて言う教授がいたりする。だから、「東洋に哲学なし」なん
て言うドイツ観念論が専門の先生は多いけれど、ではそういう
先生が中国の思想史に詳しいかというと、そうでもない。試し
にすごく基本的な質問をしてみると、ポカンとしたりするわけ
ですよ。どうも大学の先生たちの多くは、私の経験から言って
も、自分の専門外のことについては、テキトーなことを言った
り断言してもかまわないと思っているようです。困ったもので
す。

Posted by: 多摩のいずみ | November 07, 2004 at 17:45

>akikoさん
梅原先生、おもしろいです!
他の著書も読んでみたいと思ってます。

最近の大学生は、講義を鵜呑みにして反発することを知らないのでしょうか?(笑)
学問とは、既成の事実を疑うところから始まると思うのですが・・・
また、そんな講義をやっている大学の教授なんかみんなクビにすべきですね。
知人に大学の助手をやっている奴がいますが、学問そのものより
教授に取り入る事しか考えてないです。
そういう大学のシステムそのものから変えてもらいたいものです。

Posted by: LIN | November 07, 2004 at 18:03

>overQさん
梅原先生、そっちに行っちゃったか(笑)
もともと柿本人麻呂の研究とかもされているので、日本の古典芸能には
ご興味があったようですが・・・
機会があったら、是非、見てみたいです。
NHKとかでやらないかな。
でも、このスーパー狂言という方法で、梅原先生の思想が大衆に伝わっているかは
はなはだ疑問(笑)

Posted by: LIN | November 07, 2004 at 18:21

>多摩のいずみさん
同感です。
大学の先生は自分の学問にとらわれすぎちゃっている感じがします。
もっと視野を広げていただき、日本社会の牽引力になっていただきたいですよね。
中国の思想史も研究するとおもしろそうですね。
このブログを始めて、多摩のいずみさんやみなさんに色々、教えていただき
私は一生分の研究テーマができたように思います。
自分が本当に好きな事が見つからず、途方に暮れる日々を送っていましたが、
何だか少しずつ見えてきたような、きてないような・・・(笑)

Posted by: LIN | November 07, 2004 at 18:56

学問の際立った専門性がそうさせているのだと思いますよ。
学問を細かくジャンル分けしてしまうのは、
自分の利益になるからしか考えられませんけどね。
学問に限らず、あまりにもジャンルを細分化するのは
どうかなぁ?と思いますけど。学問に限らず。
学問って最終的には人間の精神活動に立ち返るはずなので、
つまるところ、人文系でも理数系でも同じだと思うんですが。
そういうふうに大局的に見れる人ってほんとに少ないと思う。
悲しいことですが。

Posted by: ベル | November 08, 2004 at 02:54

>ベルさん
『ツァラトゥストラ』を読んでいるんですね。
梅原先生も、学生時代、何十回と読んだそうです。
この本にもニーチェが出てきますが、「従来の価値基準としての神の死を宣言し、
積極的な意志を体現する超人の思想を鋭い心理的洞察で造形」と書いてあります。
前半は同意できるんだけど、「超人」という考え方に疑問。
近いうちに、私も『ツァラトゥストラ』読んでみたいです。

>大局的に見れる人ってほんとに少ないと思う。
同感。
日本の義務教育がそもそも覚える学問になっていて、考える学問じゃないあたりに
問題があるような気がします。
小学生の頃から、哲学を授業に取り入れたらいいのに(笑)

Posted by: LIN | November 08, 2004 at 11:28

こんばんは~。
梅原猛は以前少し追いかけてました。
最近はでもちょっと方向が違ってきてるなあ…という感じですが。
いいことも言ってますが鵜呑みにするのは危険かも(^-^;)。

個人的には古いですが『隠された十字架』が好きです。
梅原猛の熱い思いが伝わってきて。

Posted by: ちょろいも | November 08, 2004 at 22:09

>LINさん
超人思想は難解です。。。
感覚的にはわかるんですが・・・

いやあ、今の学問と言ったら、その学問の世界が全てで
あるかのように錯覚する方々が多いこと!

>考える学問
予備校の先生は大学受験の勉強はスポーツだと仰ってました。
なるほどなぁ。
そんな中ではじっくり考えるやつは奇人扱いされるという顛末。

それにしても、学歴信仰はどうにかならんものかなと思います。
学歴なんか関係ないと言いながらも判断する価値基準が今は
流動的だから学歴信仰は前より高まったような気がするんですがね。。。

Posted by: ベル | November 09, 2004 at 01:50

>ちょろいもさん
『隠された十字架』おもしろそうですね。
ただ、Amazonレビューを見ると、隠された十字架が何なのかは別の所で論ずると
書いてあるんですって?(笑)
法隆寺が実はキリスト教会だとかいう話なのでしょうか。

>鵜呑みにするのは危険かも・・・
鵜呑みにするほど理解できていないという話が(^^;
ただ、歴史ってその時代の権力者によって捏造されているというし、
かといって、そういっている人間もその場にいたわけじゃなし、
正解はないのだろうなあとは思います。

そうそう、京極、やっと読みました。
彼の本も歴史や民俗学満載ですね。

Posted by: LIN | November 09, 2004 at 10:47

>ベルさん
>学歴信仰はどうにかならんものかなと思います。
多分、それに代わる価値基準が見つからないのでしょうね。
でも中小企業ではあまり学歴、関係ないように思いますよ。
経営者や自由業も学歴、関係ないし・・・
早く日本全体がそうなればいいですね。

日本人ってカルチャー教室みたいに、誰かに何かを教わるのが好きでしょう?
ウチの母は短歌を習っているんですど、いつまでも「先生がこういった、ああいった」とか
いってて
私は「そんなもん、ある程度、基本を教わったら、あとは自分の好きなように歌えばいいだろ」と
思うのですが・・・
その教えてもらいたがり気質が、学歴信仰にもつながっているんじゃないかしら?

Posted by: LIN | November 09, 2004 at 11:54

私の周りでは学歴信仰は希薄ですが、「年収信仰」は相変わらずです。
とにかく年収の多い人間が偉いという感覚が、大勢を占めている。
まず開口一番「年収はいくら?」。どんなに優れた人格の持ち主であっても、
素晴らしい仕事をしていても、年収が低いというだけで、とたんに
見下げるような態度をとる者は少なくない。
私は、こんな風潮が大嫌いであります。

Posted by: 多摩のいずみ | November 09, 2004 at 14:39

>多摩のいずみさん
学歴同様、年収も簡単に比較しやすいというのもあるのではないでしょうか?
昔、「三高=高学歴、高収入、高身長の男性を狙え」と女性誌が
こぞって書いていましたっけ。

>素晴らしい仕事をしていても、年収が低い・・・
他人と自分を見比べる際(見比べる自体、愚かなのですが)
どちらが幸せかとか、どちらがすばらしいかとかはなかなか表現しにくいわけです。
で、女性の同窓会などでは
「○○さん、結婚したの?」
「お子さんは?」
と聞いてきます。
で、こちらがどちらもNoだと、「勝った!」みたいな顔をします(笑)
そのあとも、夫の仕事とか年収とか、女の戦いは延々、続くわけですが・・・
「今、あなたはお幸せ?」とはまず聞いてこないわけです。
今、気づいたのですが、すぐ他人と比較したがる人たちは
実は自分が幸せかどうか自信がないのかもしれません。

>年収が低いというだけで、とたんに見下げるような態度をとる者は少なくない。
そういう人にはドラマ「北の国から」を見せて、貧しくても幸せな暮らしがある事を
教えてあげるといいですよ(笑)

Posted by: LIN | November 10, 2004 at 11:52

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