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January 25, 2005

『希望格差社会』by山田昌弘

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く
山田 昌弘

筑摩書房 2004-11
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将来に希望が持てない人が増加し社会が不安定になっていくという話。
「今さら、だから何?」という気もする。
それでも気になった点をいくつか抜粋。

現在、フリーターが何とかやっていけているのは、大部分が親と同居していて
未婚で扶養しなくてはいけない家族もいないから。
しかし、親が弱ったり亡くなったりしたら、フリーターは国の不良債権となる。
最近では、大学院博士課程を修了しても、大学の先生に一生なれない「博士」が
毎年7000人以上誕生しており、「超高学歴フリーター」も増えている。

それでは、前近代社会は今よりもっと貧しい暮らしだったのになぜ希望が持てたのか?
それは宗教が「現世で行った努力は、死後、来世で報われる」と教えていたから。
近代となり資本主義社会では「貧しいものでも努力さえすれば金持ちになれる」という
希望へと変わった。
しかし、実際には努力してもなかなか報われない。
そこで出てきたのがマルクス主義に代表される革命思想。
貧しい労働者が団結し金持ちである資本家たちと闘争していけば革命が起こり、
労働者が豊かな生活ができることを約束する思想である。
その社会主義も崩壊してしまった。
すると来世に希望を求めざるを得なくなり、その結果、過激なイスラム教や
キリスト教のファンダメンタリズム、そしてオウム真理教のような過激な新宗教に
惹かれる人々が出てくるわけである。

一方では、苦労を一時的に忘れさせてくれるものにふける人が出てくる。
「これさえやっていれば現実の苦労を一時的に忘れることができる活動」を
アディクションという。
軽いアディクションとしてはたばこ、酒、買い物などがある。
ゲームもアディクションであり「努力が報われるという経験」をバーチャルな世界で
実現しようとする代償行為である。
問題をはらんだものとしてはドラッグなども含まれる。

そして、最終形態として、将来に絶望した人が陥るのは、自暴自棄型の犯罪である。

最後に著者はこれらの問題を社会的問題ととらえ、「一日も早い公共的取り組みを」と書いていますが、
それはいかがなものでしょう。
「社会が悪いからうまくいかない」「景気が悪いから儲からない」という考え方では
前に進まないのではないでしょうか。
ひとついえるのは、産業構造は明らかに変化しており、商品を大量に作って消費する時代ではなくなりました。
大きな組織に属していれば一生、安泰という時代でもなくなりました。
しかし、そんな時だからこそビジネスチャンスはあると私は思うのですが・・・

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Comments

一見したところ、高校生の落書きのような本ですね。
でも「希望格差社会」という言葉には惹かれます。
手塚眞がblogで「自分が社会に"機能"しているのが嬉しい」と書いていましたが、僕自身は自分が他者に対して機能しているという実感を得ていなくて、したがって将来的に明るい展望もないのですね。
なんだか湿っぽい話になってますが(笑)"機能"と"希望"は密接な関係を持っているような気がします。(いや、シャレじゃなくて)

Posted by: LSTY | January 25, 2005 at 14:19

私も経験がありますが、夢や希望がなくなると、それだけで生活や仕事など、人生のすべてがうまくいかなくなるのです。
ところが、少しでも希望が持てるようになると、少しずつ歯車が動き出す。不思議なものであります。
やり直しの出来ない人生というのは、誠に絶望的で生命力が枯渇したものだと思います。今の日本は、一度か二度失敗したら、
もうそれで「落伍者」のレッテルを貼られてしまうような風潮が強いのではないでしょうか。嗚呼。

Posted by: 多摩のいずみ | January 25, 2005 at 15:27

たびたびすみません。
考えてみると、ある種の公務員的発想というのは、夢も希望もない世界観のように見えます。
責任は取りたくない、リスクは負わないようにする。
だから、前例の無いことはしない。決められたことを、決められたままに処理する。
だから、人命の危機にあっても、難民を平気で強制送還してしまう。
たとえ人の命が失われても、「決められた仕事をしただけですから」でおしまい。

それから、企業によくいるタイプですが、本当はリスクがないのに、自分はリスクを負っているような顔をするやつ。
プロジェクトが失敗しても、全部会社の経費。自分の懐は痛まない。
それで口癖が、「次を見ていろよ」。

私のようなフリーは、仕事も生活もリスクと隣り合わせです。失敗すれば、すぐにダイレクトに激痛が襲いかかる。
でも私は、リスクがあっても自分で人生を面白く出来る生活のほうを選びました。
まあ、混乱と嘆息の毎日ですが。

Posted by: 多摩のいずみ | January 25, 2005 at 15:44

私はいわゆる「会社勤め」の経験がないので、そういう感覚にとぼしい人間
なのですが、人間はそれぞれのつながりの中で生きる・・とは実感します。
自分が社会で機能するかどうか、ということに関しても、それは言わば周り
の評価ですよね。そこには自分が無条件で評価される部分がある、という確信
がないと希望にもつながっていかないのでは・・と思います。そこには人間
同士のつながりが絶対必要なんですよ。願わくば、すべての人がそういう
根っこをもって生きられたらなあと思うのですが。そうでないと「落伍者」
だらけの社会になっちゃいそうで・・。

ご紹介の本には、「しかし、実際には努力してもなかなか報われない」とあり
ます。それをどう受け止めるのか。そこからどう動くのか。また、その努力は
自分を幸せにするものなのか。周りも幸せにするものなのか。理屈で言ってい
ても、とっかかりはいくらでもありますよね。そこから来世に行くのは、ちょ
っと飛躍しすぎですよね。

Posted by: shosen | January 25, 2005 at 22:34

論点が違うかもしれませんが、
WHO憲章における健康の定義に「Spiritual」とかいう言葉をいれるという議論があるそうです。特にイスラム圏の国から発案されたそうなのですが。
それを、人生に対するイメージを持っているとか、人生に合目的性を感じるとか、アイデンティティの確立とかそういう言葉で説明しているのを読んだことがある、記憶があります(笑)。
なぜイスラムでこういうことがおきたのかという説明もそこではしていました。ファンダメンタリズムの発生とも密接に関係する問題で、イスラム社会は現在近代化が進み始めたために既存の価値観が犯され始めており、それに対して自国や自分の社会を守ろうとして日本で言う和魂洋才的な政策(結果として全面的な近代化を推進してしまう罠があるが)や原理主義が発生しているそうです。あるいは民族的なナショナリズムが。
ですから気になったのが、その本ではイスラムの過激化を将来への不安と書いていましたが、むしろ時代の変遷に対しての自然な運動ではないのでしょうか。つまりこれは土着主義的な思想や、北米インディアンのGohstDanceの思想と類似しているという見方もあるそうです。
スピリチュアルな健康が犯されることで原理主義的な運動が起こり、それが欠落することでカルト的な宗教が必要とされるのではないでしょうか。
とかまぁ、基本的に受け売りですけどw。
それにしてもキリスト教のファンダメンタリズムって一体なんなんでしょうね。

あと、資本主義以前では伝統主義のほうが考えとしては主流となっていて、未来に対して能動的な人間像というのは一般的ではなかったのではないでしょうか?

ながながとごめんなさい、では。

Posted by: 蚯蚓 | January 25, 2005 at 22:55

>LSTYさん
社会的に機能するという事は希望につながるかもしれないですね。
ただ、今後、お年寄りが増えていくと、社会的に機能しない人も
たくさん出てくるわけじゃないですか。
日本はそういう弱者に優しくない国ですから
個々で手段を講じていかないといけないんだろうなあと
思います。
私なぞは本でも読んでぶらぶら暮らせればそれでもいいなあと思う
不埒な人間ではありますが(笑)

Posted by: LIN | January 26, 2005 at 09:42

>多摩のいずみさん
>それで「落伍者」のレッテルを貼られてしまうような風潮が強い
まったく、その通りですね。
最近、借金を理由に自殺する中年男性が増えているそうなんですが
何かそういう方を救済する方法はないのかなあと思います。

リスクに関しては、この本でも言及されています。
今まで日本はリスクの少ない社会だったけれど、
これからは大企業でもいつつぶれるかわからないし
いつリストラされるかわからないというように
リスクが増えてくるそうです。
そういう意味で多摩のいずみさんのような生き方って
いろいろ、ご苦労はあるでしょうがこれからの時代にマッチしてるのかも(^_-)v

Posted by: LIN | January 26, 2005 at 10:08

>shosenさん
そうですね。
最近はどうも人と人とのつながりが薄くなっているような気が
しますね。
私が子供の頃は、道路には近所の人がいつも集まっていて
井戸端会議をしていたものですが、最近、そういう光景を
見ないですね。
そういうコミュニケーションの場があれば、相談できたりするのでしょうが・・・

Posted by: LIN | January 26, 2005 at 11:03

>蚯蚓さん
資本主義という考え方だけではそろそろやっていけなくなってきたのかなあ
という気はしますね。
スローライフなんていうのも、その流れではないでしょうか。

現世に希望を持てない人々が宗教にいってしまう気持ちは
わからなくもないのですが、そういう人々の気持ちを
大きな組織が利用しているような気がします。

Posted by: LIN | January 26, 2005 at 11:40

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