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July 09, 2005

『塩壷の匙』by車谷長吉

4101385114塩壷の匙
車谷 長吉

新潮社 1995-10
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車谷長吉は私小説作家である。
そもそも私小説とは何かという話だが
辞書にはこう書いてある。
作者自身を主人公として、自己の生活体験とその間の心境や感慨を
吐露していく小説。
日本独特の小説の一形態で、大正期から昭和初期にかけて
文壇の主流をなした。

著者の生家は戦後の農地改革で没落する。
それを背負わされた吃音の父は最後には発狂してしまう。
わけのわからぬ宗教にのめりこむ母。
闇の高利貸しだった祖母。
自殺した叔父。
著者自身も自分よりかわいがられる弟を妬み
仕事をやめてからは何をしていいのかわからず苦しむ。

あとがきで吉本隆明は「この作家が固執している“私”の悪作を書くこと」
という表現をしている。
確かに一時、流行したスタイルなのだろうが、今の時代にそぐわないような気がする。
貧しさが同情を得られたのは、あの頃は、みなが貧しかったからではないか。
そしてこの著者は「私小説をひさぐことはいわば女が春をひさぐことに似たこと」と
いっているのだが
本人がいうほど自分をさらけだしきってはいない。
著者の中にはまだまだ格好をつけている部分があるように感じた。

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Comments

こんにちは。ご無沙汰しています。
少し前に、車谷さんと仲のいい校閲の方と話す機会がありました。
その方は『赤目四十八瀧心中未遂』に主人公を説得しに来る
編集者のモデルなんですけど、
その人に「あの話も実際あったんですか?」と聞いたら、
あれは創作で、本人はあんなに暗い人間じゃなくて、
わりとあっけらかんとした人間で、
私小説といえ、見せているのは見せたい自分なんだ、
と仰られていました。
車谷さんは文章がけっこう気障で、言葉が先行している感じがします。
LINさんの仰るようにかっこつけてますよね。
でも、そのかっこつけが魅力的な文章になっている気もします。

Posted by: nobuta | July 10, 2005 at 23:57

>nobutaさん
こんにちは~~~ヾ(^∇^)
最近、nobutaさんのブログ、記事の更新があまりなくて
寂しく思っていました。
いろいろ、お忙しいのかな?

車谷さんは私小説というスタイルにこだわっていらっしゃるようなので
自分のすべてをさらけ出しているのかと思ってました。
私小説というものがわからなくなってきましたよー(つД`)

>かっこつけてますよね。
でしょ?
「萬蔵の場合」なんて自分に酔ってるもん。
でも、車谷さんの本はまた読んでしまうと思います。
一番有名な『赤目』をまだ読んでないのですよ(^^;

Posted by: LIN | July 11, 2005 at 11:34

LINさん、こんにちは。
僕はこの作品集は読んでいる最中にはそれなりに楽しめたのですが、読み終えてからは正直言うと他の作品は読まなくてもいいやという気分です。ある作品を読んで再読したい、あるいは他の作品も読みたいという気持ちは僕の小説の評価の方法の一つなんですが、車谷さんの作品は先にも書いた通り一冊で十分との気持ちしか湧いてこないです。
車谷さんの作品は、苦しい思いをして書いたんだ、てことがストレートに書かれすぎている気がします。苦しさをどこかで昇華して欲しかったです。

Posted by: kyokyom | March 14, 2006 at 13:14

>kyokyomさん
>他の作品も読みたいという気持ちは僕の小説の評価の方法の一つ
同感です。
ところで先日、kyokyomさんがブログで
「なぜしんどいのに本を読むのか」と書いていらして
コメントしようと思ったのですが、うまいことばが思いつかず
今にいたってます。
読書人にもいろいろタイプがあって
まあ、いわゆる風流な読書を楽しむ方々が粋とされており
kyokyomさんもそういう感じに憧れていらっしゃるのかなあと思い
私は全然、反対のタイプなので、ヘタに何かをいわない方がいいかなあと。
粋な方々は、どんな本も嫌うことなく、スポンジが水を吸うように
すっと自分の中に取り込まれているようなのですが
私は日々「あー、これは違う」「これも違う」と
小説の中に何かを見出そうとして
そして見出せず、日々、失望しているのです。
で、結局、車谷さんの小説は文体はそれなりなのですが
その奥底に、本当の苦しみが見えなかったのです。
上でnobutaさんがお書きになっていますが
結局は、あっけらかんとした人だからだと思います。
私小説は廃業してしまって、世界旅行しているらしいし(笑)
私にいわせりゃ、何じゃそりゃですよ。

Posted by: LIN | March 15, 2006 at 09:10

LINさん、こんにちはー☆
先日来、LINさんから頂いたコメントについてたまにふっと思い出しては考えてみたのですが、結局分かりませんでした。いつもなら疑問は疑問として抱えつつ少しずつ考えていけばいいじゃんと思うのですが、今回は直接聞いてみた方がいいかなと思いまして。
そういうことなのでどうか質問させて頂くことをお許し下さい。
LINさんが
「思いきって読まないという人生もありなのではないでしょうか?」
というコメントを下さったのは、僕に対して本なんて読まない方がいいよ、と勧めて下さっているのでしょうか?
他の方からの言葉なら、ふーんそういう考え方もあるんだなあくらいにしか考えないと思うけど、LINさんからの言葉だとズシっと重みを感じます。また僕がブログを続けていく上でも重要な意味を含んだ言葉だとも思いまして質問させて頂いた次第です。
長くなりましてすみません。では。

Posted by: kyokyom | March 21, 2006 at 12:46

>kyokyomさん
小説をなぜ読むかといえば
自分が体験できないことを
あたかも体験できたかのように思えるからだと
いった方がいます。
つまり、読書家というのは
(こういうと反感、買いそうですが)
行動力のない方々といってもいいかもしれない(笑)

たとえば、私は恋愛小説をまったく読まないのですが
それは、恋愛は実際にした方が楽しいからです。
恋愛小説を読んでうっとりしている人は
実際の恋愛が怖いのではないでしょうか?

ケーキを焼く時、料理本を何度、読んでも、
ケーキはできあがらないでしょう?
とりあえず焼いてみる。
失敗したら、また本を見てみる。
人生もそれと同じで、生きてみる。
迷ったら、本を読んでみる。
元気が出たら、また本を横に置いて、街に出る。
本を読まない人は、きっと本を見なくても
自分なりにあれこれ工夫して
人生というケーキが焼ける人たちなんですよ。

そして、kyokyomさんは、活字が苦痛だと
本を読む意味がわからないと書いていらっしゃいましたね。
だったら、今は、本を無理に読まなくてもいいのではないでしょうか?
そして、また迷ったら、読めばいいのでは?

Posted by: LIN | March 21, 2006 at 13:52

LINさん、再びお邪魔します(しつこいって嫌わないでね)
ええと、僕の書いたことに関してですが、
>活字が苦痛だと、本を読む意味がわからないと書いていらっしゃいましたね。
ではなく、「苦痛だけと読みたい」です。そして本を読む意味がわからないからこそその意味を考えてみたいということです。

LINさんの書かれている例はうまいたとえだなあと思い、思わずぷっと笑ってしまいます。ほんとにいつも自分の中から言葉を探して巧みに語る方だと感心させられます。つまり、借り物ではない自分自身の言葉を使っていらっしゃる。こちらのブログでいつも感じ入っていることです。
でも、こう言ってはなんですが、行動の話、恋愛の話、ケーキの話すべてにおいて物事を一般化しすぎているとも感じます。もっとはっきり僕に向かって直接的に書いて欲しいです。これは僕とLINさん、個人と個人の間の話です。

とにかく行動の話について僕自身納得できないのは、行動することと本を読むことを全く切り離してしまっていることです。
行動していれば本を読まなくてよい→自分の頭で考えているから。
行動していない時→迷っているから本を読めばよい
というのはちょっと違う気がします。だって人間って迷いつつ、行動しつつ生きるものじゃないですか?
僕自身、本を読むのはなんのため?という意味があるのかないのか分からない問いを勝手に考えていますが、その答えはLINさんも仰っている通り、やはり行動することなのだと思います。ただ、これは僕の場合直感によって導いた答えであって、「読む」と「行動」の間をつなぐ言葉が見つからず、まだ模索している途中なのです。ミッシング・リンク。とか言ってみたりして。
結局、僕が言いたいのは、本を読みつつ行動もすることが本来のあり方なんじゃないかなあと思います。ある時は内省的になり、ある時からは活動的なって人生そんな簡単に区切りをつけられるものでしょうか。

それはともかく、LINさんがコメントしてくれた意図が少し分かった気がします。僕があまりに本を読むのが苦痛だとか苦手だとかほざいていたから、おのれはなにをたわけた弱音を吐いているんじゃーって頬にビンタくれたのだと思いました。ありがたし。
それからね、LINさん、最後に一言。
恋はするものじゃなくて・・・お・ち・る・も・の。うふ。
つまらないオチですみません。ピューッ(逃げ)

Posted by: kyokyom | March 21, 2006 at 18:46

>kyokyomさん
うーん、「苦痛だけど読みたい」のがちょっとわからないんですよ。
もしかしてkyokyomさんの中に「つらいけれど本は読まねばらならない」
という義務感のようなものがあるのかなあと。
で、私はそこまでして読むことはないんじゃないかなあと
ああいうお返事になったのです。
ちょっと遠まわしの表現ではありましたが。
最初、書いた文は違った内容でした。
こんな感じ…
本(この場合は小説をさします)を読まなくても
立派な人はたくさんいます。
むしろ、本を読まない人の方が
たくましく生活を生きているという気がします。
本を読む人の方がダメな人間じゃないかとさえ
思います。
実際、私の知り合いで、年間、本を何百冊も読み
それを誇りにしている人がいますが、
妻がいるのに、若い女に手を出すろくでなしですし。
つまり、読めばいいってもんでもなくて、
読み方も大事なのではないでしょうか?
というような内容で、最初、書きました。
だけど、読書家を悪くいっているような文章になっちゃったので
やめたの。
で、kyokyomさんですが、「苦痛だなあ」と思いながら読んでいると
本来、感じられる感動がすっとはいってこないんじゃないでしょうか。
芸術って何にせよ、肩の力を抜いて、自然体でいる時
感動が自分の中にすっと入ってくるんだと思うんですよ。
それから、今、思いつきましたが
kyokyomさんの本の買い方を拝見していると
幅広いでしょう?
でも、本好きの人って、テーマがあるんですよ。
ミステリーしか読まない人もいるし、
最近の日本の若い小説家ばかり読む人もいる。
そこまではっきりしてなくても、ひとつの傾向はありますよね。
で、kyokyomさんの買い方を見ていますと
「ああ、混乱されているのかなあ」と思うのです。
(もし、kyokyomさんの中で筋が通っていたら決めつけてごめん)
で、そういう時は、本を買うのをやめて、読むのもやめて
自分の心に「本当に本を読みたいのか?」と
問うてみるのもいいのではないでしょうか?
すみません、思いつくまま、つらつらと書きました。
わかりにくくてごめんなさい。

Posted by: LIN | March 22, 2006 at 09:40

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