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July 27, 2005

『現代小説のレッスン』by石川忠司

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石川 忠司

講談社 2005-06-17
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現代小説を「エンタテイメント化」という切り口で分析。
ことばが難解なせいか今ひとつよくわからず。
気になった箇所をメモします。

物語がはなし言葉であった頃は、声質や響きによって広がりがあった。

活字(小説)という形になった時、ストーリーだけでは足りなくなった。

「内言」「描写」「思弁的考察」が必要とされた。

しかしそれらはかったるくもある。

そのかったるさを見事消去した上で作中に存在せしめるのが
純文学のエンタテイメント化である。
※「描写」「思弁的考察」をごっそり削り取りスカスカにしたエンタテイメント小説とは違う

★村上龍
「描写」をエンタテイメント化
アクションとは多様にピントの合わされた多角的なショットの不連続的で
飛躍的な連続によってできているのだと正確に理解している。
ただし村上龍が「告白」しようとすると全部、説教になる。

★保坂和志
「思弁的考察」をエンタテイメント化
かつて物語を介して確認しあっていた共同性は
長編小説の孤独に取って代わられた。
保坂和志は小説の中でためらい、停滞、脱線、逸脱することで
「思弁的考察」の共同性をめざしている。

★村上春樹
戦後、目指した社会状態が「文学とは縁のないところで」「実現してしまっ」て
しかも新たな問題にかかわる「使命というもの」も「まだ見つからない」。
新しい使命が見つからなければ、使命の実現にともなう困難も悩みも
挫折もない。
こうして次第に純文学は、たんなる楽しみを追求する大衆文学に
道を譲るのだろう…

そんな時代に村上春樹の小説は別に何も失ったわけでもない「喪失感」
別に何を目指したわけでもない「挫折感」など
具体的な原因を欠く純粋なメランコリーを見事に形象化した。

★『ねじまき鳥クロニクル』
爆発的に人口が増えた現代、必然的に一人頭の魂の量は
希薄になった。
この「運命的に過密化された」現状を、
スタニスワフ・レムのように徹底的に考えつくすでもなく
佐川光晴や藤野千夜のようにあくまでも個人として
自らの「何者でもなさ」=「空虚さ」に耐え忍ぶことでそれを肯定するでもなく
あるいは反対に保坂和志のように小「藩」的な共同体版図を
ストイックに守り通すのでもなく
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の場合、小説の領域をいたずらに
国民規模・世界規模にまで拡張し、
なおかつそこで相変わらず人間的な「ドラマ」を成立させようと無理に試みたから
最終的に制御不能・機能不全に陥り、
リアルな「暴力性」を欠いたたんなる暴力のイメージの介入を許し、
作品世界全体を監督する役割を放棄せざるを得なくなったのではないか。

★阿部和重
「謝謝」だけで簡潔する中国語と違い、日本語の「感謝」は
“心から”とか“本当に”と補う必要があるくらいペラい。
そのペラい言葉をトートロジカルに力んで重ねたのが阿部和重。

★舞城王太郎
「内言」をエンタテイメント化
内言や内省が物語の進行を妨げるならそれ自体で
物語をすべて語ってしまおうというのが舞城王太郎。

★いしいしんじ
本来なら「内言」や「思弁的考察」などが占めてしかるべき箇所を
すべて軒並み繊細な形で物語化してしまう。

★水村美苗
日本語はペラいので、小説家は身も蓋もない「事実」で言語に重しをし
そんな「事実」の力を借りて厚みのある対象=「真実」へと到達するしかなかった。
(私小説的スタイル)
しかしこの方法では肝心要の小説としてのおもしろさは蔑ろにされる。
そんな中で欧米流の「本格小説」構築をめざしたのが
水村美苗の『本格小説』である。

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Comments

エンタテイメント化っていうのはつまり「読みやすくする」ってことですかね。龍の描写は映像的で読みやすいし、保坂はなんかごちゃごちゃいってるけど哲学的でも読みやすい。春樹はもとから大衆文学(字が読めれば誰でも楽しめる)だし読みやすいのはあたりまえ。「なんや難しいしようわからん」であっさり片づけてしまわれないように読みやすく工夫するのが現代文学。深い思想もわかりやすく述べましょう、な現代文学。以上、要約終わり。これであってる?

Posted by: Rym | July 28, 2005 at 14:07

>Rymさん
「読みやすくする」って事なんでしょうねえ。
でもただでさえ日本語はペラいのに、余計、ペラく
なりますよねえ。
Rymさんは実際に書いていらっしゃるわけですが
そのあたりはどうですか?
読みやすくしようと思って書いてます?
何かね、最近の日本の小説にどうも違和感、感じてね。
ストーリーがおもしろくて、あっという間に読める本が
人気があるのはなぜなんだろうって。
私なんかケチだから(笑)おもしろい本の場合は
そこからいつまでも出たくないのでむしろ読みにくい方が
嬉しかったりするわけ。
本に安易な感動を求めると、実生活にもそんな安易さを
求めたくならないのかなあ。
むしろ実生活がつらいから、本では簡単に泣きたいのか。
まあ、そんな事をぐちゃぐちゃと考えている日々です。
私も暇よね(笑)

Posted by: LIN | July 29, 2005 at 09:26

かったるい部分を読みやすくしたというときの読みやすさはもちろん表現を担う日本語の密度が低いからこそ生まれる感覚なのだけれど、かったるいはずの対象(描写とか思弁的考察)を削り取らずに読みやすくするには対象へのアプローチの仕方をそれなりに工夫する必要があるわけで、その工夫が彼らのもつ読みやすさだ、というように理解します。細部の表現を追っているときはペラい日本語だからすらすら読めるのだけれど、それは実は文意がとりやすいというだけで表現自体はわりと凝ってたりするし、なにげに難しいことについて述べてたりするので、ぜんぶ読み終えてみたらば簡単には要約できない感じで深みがある話のような気がする。ここに挙げられている作家さんはみなそういうタイプなんじゃないでしょうか。

わたしの場合は不気味な書法を用いることで実はシンプルな物語をあたかも迷宮な感じに仕立てあげる、というのがめざすスタイルだったりします。だから対象なんかどうだっていい。物語のテーマなんてどうせ2種類しかないんだからそんなのあってもなくてもいいし読んでもわからないくらいなほうがおもしろい。解釈は多いほうがいい。で、たとえ不気味な書法を組み立てるにしてもシンプルな単語しか使わなければ読みやすくすることも可能だと思うので、読みやすくしようというねらいもないことはないです。でも3行ぐらい読んだらもう迷っちゃうくらいが好きだと思うです。

Posted by: Rym | July 29, 2005 at 20:53

>Rymさん
>簡単には要約できない感じで深みがある話のような気がする。
わかります!
いい小説は要約できないんですよね。
最近、小説はストーリーで語られがちだけど、
そうじゃない部分がたくさんあると思うんです。
ヘタな小説は文章がべたっとしているとか。
いい文章は、本の上に立体映像が浮かび上がってくるんです。
ダメな文章は想像力がかきたてられない。
最近の読書傾向を見ているとどうもストーリー重視で
そのあたりが軽視されているような気がします。

>シンプルな物語をあたかも迷宮な感じに仕立てあげる
いいですねえ。
そういうの、好きです。
その迷宮にずっと閉じ込められていたい(笑)

Posted by: LIN | July 30, 2005 at 10:12

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