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October 06, 2005

『批評理論入門』by廣野由美子

4121017900批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義
広野 由美子

中央公論新社 2005-03
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自分にとって、はまれる本とはまれない本の違いは何なのか、
最近、考える。
作家の石田衣良が
“生きることの苦痛を描いて深いところまで到達した純文学”より
“読んでいるあいだだけ自分を別の世界に連れていってくれる
すごくおもしろい読み物の小説”がいいと書いている。
角田光代はTVで
「小説は他人の視点になることがスタート」といっていた。
(他人の視点になるというのは最初からウソを書く気満々だと私は考えます)
この二人は、子供の頃から本が好きだったという。
恩田陸もそうなんだけど、小さい時から本が好きだった作家というのは
物語を作ろうとする傾向がないだろうか。
で、私のように、今まで特に本好きでもなかった人間が本を読むと
どうも、その予定調和的な物語に抵抗があるのだ。
いかにもな始まりと、「ああ、やっぱりね」のラスト。
まるで火曜サスペンス(笑)
大塚英志は『物語の体操』で
カードを使った小説練習法を紹介している。
登場人物や舞台を変えれば、いくらでも物語は作れちゃうといっている。
今や物語は映画、TV、漫画、ゲーム…ありとあらゆるところにある。
その中で物語を活字で読むことに喜びを感じる人間は一部なのではないか。
小説が生き残るためには物語という形式から脱却するべきではないのか。

というようなことを考えながら、この本を読んだ。
前半は小説技法編。
冒頭,ストーリーとプロット,語り手,焦点化
提示と叙述,時間,性格描写,アイロニー
声,イメジャリー,反復,異化,間テクスト性
メタフィクション,結末

以上15項目について書かれている。
作家志望の方で「ん?このことばは何?」と思う項目があったら
読んでおくといいかも。

後半は批評理論編。
伝統的批評,ジャンル批評,読者反応批評
脱構築批評,精神分析批評,フェミニズム批評
ジェンダー批評,マルクス主義批評,文化批評
ポストコロニアル批評,新歴史主義,文体論的批評
透明な批評

新しい批評理論になればなるほど強引で
ちょっとした言葉尻をとらえて、やれフェミニズムだ
ポストコロニアルだといっているような印象がある。
もう文学を批評するというより
文学を利用して自説をとなえるという感じ。
(この本の著者の廣野さんがじゃないですよ、批評家の人たちがって事です)
また脱構築は自分自身の哲学を構築するのではなく、
過去の哲学を否定することらしいのですが(まちがってるかも)
新しい何かを発見するためではない否定なんて意味ない。
否定するための否定になっちゃうから。
構築→脱構築とぐるぐる繰りかえすだけにならないだろうか。
脱構築については長くなりそうなので、また今度。

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Comments

以前のLIN記事で、この本を知り気になっていました。
あ、マーシャルビートも♪DDRも欲しかったのですが
階下の人の迷惑になるのではないかと言われ
買うのを断念していました。
しかしジムボール(バランスボール)でバランスがとれずに落ちてる私はやはり迷惑(笑)

>いかにもな始まりと、「ああ、やっぱりね」のラスト。
>まるで火曜サスペンス(笑)
(笑)どうですか?LINさんはカサス好きですか?
私は大好きなのですが(笑)最初から犯人が解っているのに
見て楽しいの?と言われます。
最後に大どんでん返しがあるかも知れないからと言ってみるのですが
だいたい途中で寝てしまい気付くと犯人が誰だったのかも解らない始末。ホントに好きなのかよ私。

本の感想を書くとどうも主観的になってしまい
感情論へと発展する私、もうちょっと客観的な感想を書きたいといつも思うのですが
その参考になればと思って読もうかとも思っているのですが
なんだか難しそうな本ですね・・・。

>自分にとって、はまれる本とはまれない本の違いは何なのか、
おおお!!私も考えてみようかな。

>“読んでいるあいだだけ自分を別の世界に連れていってくれるすごくおもしろい読み物の小説”がいい
なるほど。。そうかも知れません。
今年の残りの宿題として考えてみよう。

Posted by: Bryum | October 06, 2005 at 15:02

LINさん こんばんは
読書量は、多いほうではないので・・・
小説と言って、読み物(物語)か文学ってラインを引くのが難しい。でも、予定調和や、その話ならあるなと思う作品は避けてしまう。
大江健三郎賞も創設されるので、新しい風が吹くといいなと思っています。しかし、氏の作品は未読です。

Posted by: 美結 | October 06, 2005 at 18:45

>Bryumさん
マーシャルビートはDDRみたいにジャンプがないので
階下の人には迷惑にならないです♪
プレステをお持ちだったらオススメです。
結構、きついです。
この間、くりぃむしちゅーの番組で「火サスのベタ」について
ドラマ仕立て&クイズ形式でやってました。
背後から人が来たら、次は灰皿でなぐられるとか
被害者の妻が「私は犯人を知っている」というと
次はシャワーシーンでやっぱり殺されるという感じ(笑)
火サス、先月で終わっちゃったんですよね。
火サス、フォーエバー!
『批評理論入門』むずかしくないです。
Bryumさん、化学の説明を拝見していると理論的だから
向いてるかもよん♪
>“おもしろい読み物の小説”がいい
>なるほど。。そうかも知れません。
ごめん、わかりにくかったかもしれませんが
私はその“読み物の小説”がどうも苦手らしくて…(^^;
多分、少女性に欠けてるんだと思う。
そのあたり、Bryumさんに同じ匂いを感じるのですが。
え?一緒にするな?

Posted by: LIN | October 07, 2005 at 10:28

>美結さん
>読み物(物語)か文学ってラインを引くのが難しい。
確かに!
いってみればエンターテイメントと純文学の違いでしょうか。
ネットで福田和也氏のこんな発言を見つけました。
ちょっと長いけど、書いておきますね。
「エンターテイメントにおいて、作家は読者がすでに抱いている
既存の観念の枠内で思考し、作品は書かれる。
その枠内において、人間性なり恋愛観なり世界観といったものは、
いかに見事に、あるいはスリリングに書かれていても、
読者の了解をはみだし、揺るがすことがない。
純文学の作家は、読者の通念に切り込み、それを揺らがせ、
不安や危機感を植え付けようと試みる。
あるいは、このように云ってもいいだろうか。
エンターテイメントの作品は、読者に快適な刺激を与える。
読者を気持ちよくさせ、スリルを与え、感動して涙させる。
純文学の作品は、本質的に不愉快なものである。
読者をいい気持ちにさせるのではなく、
むしろ読者に自己否定・自己超克をうながす力をもっている。
いわばエンターテイメントが健康的なビタミン剤であるとすれば、
純文学は致命的な、しかしまたそれなしでは
人生の緊張を得ることのできない毒薬である、と。」
大江健三郎賞!
芥川賞や直木賞はどうも出版社にコントロールされてるんじゃないかと
思われる今、おおいに期待したいですね。
私も大江さんの作品、未読です( ̄┰ ̄*)ゞ

Posted by: LIN | October 07, 2005 at 10:45

>小説が生き残るためには物語という形式から脱却するべきではないのか。
物語が小説世界において玉座を退き、その後に新王の治世が始まるとのLIN様の予言。が、どうしてなかなか、物語の王位は決して揺るぎなく、その統治権はとこしえに続くであろうと我は予言いたします。LINさんは西の方、私、東の者(茨城)にて東方の預言者です。

しかし、カードにての小説練習法というものまで考えてしまう人がいるのはすごいですね。やはり物語のパターンというものは出尽くしたのでしょうか?僕は物語という形式は人が異世界を体験するための非常に優れた装置だと考えていまして、あとは物語という器の中に作家達が何を盛り込めるかということが問題なのではないかと考えてしまいます。定まった器の中にどれだけおいしい料理を盛れるか。まあ、新しい時代に新しい形式が生まれるということも大いに考えられのですが。しかしこれ面白い問題ですね。

Posted by: kyokyom | October 07, 2005 at 19:07

>kyokyomさん
そうなんですよね。
確かに物語人気は相変わらずです。
kyokyomさんのおっしゃる通り、不滅かもしれません。
しかし、物語を表現する方法として、すでに活字は
映画、TV、漫画にそのファン数という意味で
負けてしまっていないでしょうか?
もちろん、活字ならではのよさ(自分で想像する楽しさ)が
あるのはわかっています。
しかし、ボーイズラブ小説の人気ぶりなど
活字が映画、TV、漫画側に寄っていってしまっている事に
危惧を感じます。
当然、昔の作家と違って現代の作家は生まれた時から
映画やTVを見ているわけですから、その影響は
まのがれないと思いますが…
ううむ。
たとえばkyokyomさんは、笙野さんの『金毘羅』のような
一種、とらえどころのない、起承転結がない話より
物語性が明確な小説の方がお好きですか?
>LINさんは西の方
ここ、ウケました(≧∇≦)ノ彡
もしかして、関西という意味でしょうか?
私、関西っぽいですか?(笑)
私が住んでいる街はkyokyomさんの街のお隣、千葉県ですよん♪
「ちばらぎ」って事でこれからも仲良くいたしましょうね。

Posted by: LIN | October 08, 2005 at 11:23

あ、そうか僕はLINさんは千葉出身の方で今は東京に住んでいるのかと勘違いしていました(*´∀`*)
それからイメージで言うとLINさんは関西系でなく東京っ子って感じです。江戸っ子でなく東京っ子。あるいは街っ子。首都の文化、雰囲気を吸収して育ったような印象を勝手に持っていました。
僕には笙野頼子作品ってなんだか読んでいると神経をムチでぴしぴしうたれているような感覚がします。その感覚が気になって今「片付けない作家と西の天狗」を読んでいます。「金毘羅」は確かに明確な起承転結はないんですが、でも僕は笙野作品ってやはり物語として読んでいます。ただ、エンタメ系小説の物語とは別個のものだなあとは感じているのですが。
それと文学って現代では確かに映画や漫画にはファンの数では負けちゃっていますね。これから活字文化って一部のマニアのものになっていく?活字オタクとか言われてこそこそ隠れて本を読むようになったりして。

Posted by: kyokyom | October 08, 2005 at 14:11

>kyokyomさん
ズーニーさんの記事のお返事、読みました。
いつもコメントを拝見しても感じることですが
kyokyomさんは優しくて素直な方なんだろうなあと
思います(もちろんいい意味で)
私はひねくれすぎてるんです、きっと(^^;
>東京っ子って感じです。
かつて東京で暮らしていたこともありますが
今はチバチバしてますよ(どんなだ 笑)
お、『片付けない作家と西の天狗』を読んでいらっしゃるのね。
私、途中で止まってます(汗)
笙野作品は、彼女が子供の頃に感じたイライラ感もわかるし
現在、抱えているイライラ感も何かわかるんですよねえ。
Panzaさんもそうじゃないかなあ。
そういう意味で女性の方が共感しやすい
作品なのかもしれません。

Posted by: LIN | October 08, 2005 at 19:17

こんにちは。
>すごくおもしろい読み物の小説
こんなふうに言われると、すぐにアリストテレス的な
カタルシス志向の作品を連想してしまい、それでは
ブレヒト的な現実を直視するような性質の文章は、現代では
まったく受け入れられないのではないかと、短絡的に思って
しまいます。
たしかに、現代のわが国の悲惨な現状は、直視できないものがありますが。

Posted by: 多摩のいずみ | October 09, 2005 at 10:55

>多摩のいずみさん
アリストテレス、カタルシス、ブレヒト…
調べました。
勉強になりました。
最近の日本の小説を読むと「こんなのマンガでいいじゃん」って
思っちゃうんですよねー。
だから、簡単に映画化できるわけで。
マンガ的ストーリーを活字で読んでいるに過ぎないんじゃないでしょうか?
>わが国の悲惨な現状
う~ん、私は「わが国」というとらえかたをすると
見えなくなっちゃうと思うんです。
個人である自分の現状を冷静に分析する事から
世界を見るといいんじゃないかなと漠然と思ってます。
「小さい私から大きく振り返る。
それが文学だ」という笙野さんのウケウリだったりするんだけど(笑)

Posted by: LIN | October 09, 2005 at 17:34

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