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April 11, 2006

『小説のゆくえ』by筒井康隆

小説のゆくえ小説のゆくえ
筒井 康隆

中央公論新社 2006-03
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あの断筆騒動の際の顛末や
選考委員をしていらした三島由紀夫賞の選評など
ぎっしりみっしり。
読み応えあります。

しかし三島由紀夫賞はノミネート作品にも
魅力的な作品がたくさんありますね。
チェック、チェック。

『折口信夫論』 松浦寿輝
『三絃の誘惑 近代日本精神史覚え書』 樋口 覚
『くっすん大黒』町田康
『カブキの日』小林恭二
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』東浩紀
『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』辻征夫
『サーチエンジン・システムクラッシュ』宮沢章夫
『ユリイカ EUREKA』青山真治

読書メモ

21
多産性を放棄し、ふたたび少人数の選ばれ限られた読者の手に
文学を取り戻すことこそが、優れて文学的な営為であり、
同時に優れて現代的な営為なのではないか。

40
ヴァレリーは「テル・ケル」の中で
「文学は、何を言えばよいのか正確にわかっていないのに
書きたいという欲求だけは激しい人びとであふれている」
と書いている。

46
ヴァレリーに従って批評を
「文学が主題として課せられている文学」であるとすれば、
「文学は死滅したか」を論じるならともかく、
それがいかに文学的に論評されていようと
「文学は死んだ」という前提で書かれたものも
また文学であるとはとても思えない。
死んだと思うなら書かねばよいのである。

55
コルタサル『遊戯の終り』

97
作家の文学的営為のひとつは、
自分の中の社会性や良識性に疑いを抱き、
犯罪者的資質や悪への志向を掘り下げることだからである。

187
今でも恋愛なんてものは小説に書くべきものではなく、
するものだというのがわが主張である。

245
最も端的に表現できる語句というのは、
もしかして小説の文章に向いていないのではないか。
その語句が思いつかず、別の言い方で意味の周辺を
ぐるぐる回っているような文章こそ
小説の面白さではないのか。

280
子牛のときから母乳もらえず、母乳は人の口に行き、
蛋白質からと、かわりに肉骨粉与えられ…
(うかつにも、狂牛病のおおもとの原因が
私たちが牛乳を飲んでいたせいだとは気がつかなかった!
その貴重な牛乳が余っているから捨てるなんて!)

313
最近フェミニズム批評の立場から再評価されている
サミュエル・リチャードソンは、自宅のサロンに婦人たちを招いて
作品を朗読し、彼女たちの意見に従って書き続け、
『クラリッサの凌辱』を書きあげたという。

344
新潮社『ポケットに仏像』立体メガネつきの写真集

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Comments

LINさん

大変ごぶさたです。
やっとながーい春休みも終わり
子供たちからも開放されました。
少し読書をしたくなり覗きに来ました。

Posted by: ともちゃん | April 11, 2006 at 19:35

筒井康隆は禁断なんです。読み出すとはまるので、、、。はやくSemesterが終わって読める日を夢見てます!でも、この本おもしろそうです。Linさんの選ぶ本はとってもセンスがよいです。参考になります。

Posted by: Miwako | April 11, 2006 at 22:50

>ともちゃん
そうか!春休みだったのですね。
お疲れさまですヽ(´ー`)ノ
秋の読書もいいけれど、
春の暖かい陽だまりの中、ぼんやり読書するのも
いいですよねー。
最近、ともちゃんのとこ、コメント欄がにぎやかなので
コメントは遠慮してました~。
(お返事書くのってコメントが集中すると結構、大変ですものね)
ともちゃん、毎日、休まず記事をアップしていらしてすごい!

Posted by: LIN | April 12, 2006 at 09:24

>Miwakoさん
Semesterが終わらないと、気持ちが落ち着かないですね。
それにお家の件も!?
筒井康隆の小説は『文学部唯野教授』しか読んだことないんです。
オススメあったら教えてね。
この本は、筒井さんの作家としての歴史が垣間見えて
おもしろかったです。
>Linさんの選ぶ本はとってもセンスがよいです
ありがとうございます。
でも、私もMiwakoさんも女子っぽくないチョイスですよね(笑)
だから私もMiwakoさんが選ぶ本が好きなんですけど♪

Posted by: LIN | April 12, 2006 at 09:36

>187
>今でも恋愛なんてものは小説に書くべきものではなく、
>するものだというのがわが主張である。

 ↑ものすごく共感するものである。
「ほらキュンとくるだろ? そろそろ泣いちまうだろ?」って小説は、たきぎと一緒に火にくべたいくらい大ッ嫌いです。真ん中あたりで「あいー!!」と言ってる小説とかとくに(ファンが多いのでタイトルは伏す。でもわかるか(笑))。
 恋愛小説なんだか、恋愛行動の箇条書きなんだかわからないの、いっぱいあるもんね。こんなの読むくらいなら、生物学の求愛行動記録を読むほうがよっぽど面白い。

 引用部を全体的に見渡した感じ、筒井さんの好みと僕の好みは似ている気がする。97や245なんてまったく同じだもん。
 僕は、筒井さんの後期作品にあまりノッていけないのにな。なんでか不思議。

 この本を読んでLINさんはどう感じたのか、ちょっと知りたくなったッス。

Posted by: ろぷ | April 12, 2006 at 12:22

「くっすん大黒」がノミネート作品に選ばれていたんですか!素晴らしいことですね。(なのか?笑)私は彼の描く主人公の人間の駄目ぶり堕落ぶりに親しみが沸いてしょうがないんです。自分のこととしか思えない...(笑)
三島由紀夫と言えば、ちょっと前に、瀬戸内寂聴と美輪明宏という非常に濃い〜コンビの対談本「ぴんぽんぱんふたり話」という本を読んだのですが、構成が三島の話題70%(これは当然ですね!笑)あの世の話題30%って感じで、面白かったですよ(笑)生身の三島が感じられて、ファンにはたまらないんじゃないかな。あれれ、なんか話題ずれちゃってごめんなさい〜(>_<)

Posted by: さなちん | April 12, 2006 at 22:35

>ろぷさん
>筒井さんの後期作品にあまりノッていけないのにな
私は筒井さんの小説を1冊しか読んでいないので
云々いう資格はないかもしれませんが、
理論がわかっていることと、いい文学を書くこととは
格段の開きがあるからだと思います。
(天才、筒井さんといえども!)
でも、文学をやろう(小説を書こうではなく)と思っている人は
理論が曖昧なまま書くべきではないでしょうね。
>この本を読んでLINさんはどう感じたのか
21と245がオススメですね。
私は以前から書いているように、今、人気があるといわれている本に
違和感、感じてますし。
口当たりのいい本ばかり多い現状への反発をこれからも書いていきたいと思ってるし。
昨日、天童荒太の『永遠の仔』を読んでいて「あっ!」と思ったのは
そばをたぐるようにするする読める本は文学じゃないんだなと。
世間ではとっくに知られていることかもしれないけど、
私の身体に突然、すっとはいってきたんですよ。
「あー、これが大衆小説ってことなんだ」と。
今まで、私は大衆小説と文学を明確に分けてなかったかもしれない。
ブログタイトルも「やっぱり文学が好き」にするべきかも(笑)
でもノンフィクションも読むからなあ…

Posted by: LIN | April 13, 2006 at 10:10

>さなちんさん
『くっすん大黒』は1997年の三島賞にノミネートされたみたいです。
筒井さんは相当、押したけど、ダメだったみたい。
その年の受賞は『三絃の誘惑 近代日本精神史覚え書』という文芸評論ですね。
さなちんさんは町田康がお好きなのですね。
私は『きれぎれ』を読んで、「あ!ダメ」と思いしばらく封印してたのですが
その後、『浄土』と『東京飄然』を読みました。
でも、町田康の本当のよさはまだわかってないかも。
『くっすん大黒』を読んで勉強したいと思います。
>瀬戸内寂聴と美輪明宏という非常に濃い〜コンビ
うわ、濃い(笑)
そして、相当、怖い二人ですよね。
でも、読んでみたいです。
タイトルにおぼえがあるので、チェックしたはずですが
スルーしちゃってたみたい。
教えてくださってありがとうー。

Posted by: LIN | April 13, 2006 at 10:46

 ちょっとテーマがずれますが。

>そばをたぐるようにするする読める本は文学じゃないんだなと。
>今まで、私は大衆小説と文学を明確に分けてなかったかもしれない。

 ↑気持ちはわかるけど、「ここから文学!!」とあんまりハッキリ分けないほうがいいですよ。そういう意味では今までのスタンスのほうが自然で良いと思います。

 最強の文学ってのは、大衆小説のようにするする読めて、それでいて深いところの連れて行ってくれるものだ。と、僕なんかは思っておりまする。
 その点、大衆小説ってのは、入口はするっと入れる。けど、それだけなんだよね。入ったあとは何も詰まってない。

 そうそう、
 誰だったかのナツメロの名曲で「木綿のハンカチーフ」って曲、あるでしょ。
 僕はあれだって立派な文学だと思う。
 わかりやすさ、主張、構成、深さ、伏線にどんでん返し。すべてを兼ね備えてるからね。
 一度そういう目線で聞いてみてはどう?
 きれいな文学を一冊読んだ感じになるよ。
 文学って本の中だけじゃないんだね。

 ……とまあ、文学談義になると長くなるね(笑)。
 文学の境目ってのは、専門の大学の先生でも難しいらしいです。僕らには深遠な世界なのかも。

Posted by: ろぷ | April 13, 2006 at 19:46

>ろぷさん
>あんまりハッキリ分けないほうがいい
いや、文学とカテゴライズされた作品を
今後、すべてすばらしいと考えるいう話ではないの。
私は、今の小説のありかた、読者の読み方に疑問を感じていて、
どうして自分がそう感じるか、ずっと考えているわけ。
そのひとつの理由として、今回、記事にした
文学と大衆小説の差異があるんじゃないかと思ったの。
そういう意味で、今の日本には文学を書く作家はいないんじゃないかと。
職業作家になった時点で、大衆小説作家になるしかないんだと思うんだよね。
(食べていかなくちゃいけないんだから)
でも、文学はそこにない。
「木綿のハンカチーフ」の件
>わかりやすさ
それこそ文学が忌むべきものだと思うよ。
いや、わかりにくいから文学といっちゃうと、また違うんだけど。
まあ簡単に答えの出る問題ではないと思うので、
今後もゆるゆると考えていきたいです。
これは、余計なお世話かもしれないですが、
ろぷさんって、割とあっさり、結論、出しちゃうよね?
本を読んでいると、何事も考え抜かなくちゃいかんなあと思うわけ。
あの大先生、吉本隆明だって、いまだ悩んでいるのに
我々、若造が簡単にわかった気になってはダメだと。
で、本はそのためにあるんじゃないかと。
ろぷさんの文章を拝見していると
「これは○○だよね」という文章が多いように感じたものですから。
まあ、余計なことでしたね、すみません。

Posted by: LIN | April 14, 2006 at 09:59

>ろぷさんって、割とあっさり、結論、出しちゃうよね?

 はは♪ たしかにね。
 でも結論ではないのですよ。
 僕の考え方としては、とりあえず仮説や比喩を出す。
 それが合っているかどうかを時間をかけて煮詰めていくって感じだから。もちろん間違ってたら引っ込めるし。
(射手座AB型の典型と言われたこともあります(笑))

「神様のように達観して正しい答えを持っていないから、私には発言する権利がありません」ってノリ、僕はキライなんだ。
 結論が出たあとの正しい答えばっかり書くのなら、それは文学じゃなくて神様が書いた聖書だと思えるし。
 文学って迷わなきゃ書けません。
 だから僕は迷うために仮説を打ち出す。……ドツボかもしれないけど(笑)。


 難しいことを難しく言うだけならサルでもできる。
 頭の中の難しい思考を、とりあえず言葉という簡単なモノに置き換えることが出来るから、人間は喋れるようになったんじゃないかな。サルはそこんところが出来ないからギャーギャー言うだけ。

 難しい思考を難しいままで伝えるのなら、それはサルレベルの文学かも? とか今思ったッス。もっとも、僕もそのサルの中の一人ですけど。
(ほら、この文章も抽象的)

 わかりやすい言葉で深い思考をしている現代の作家さんを僕は何人か思い浮かべることが出来ますけど……んま、それは評価の違いかもしれませんね。
 んでもって文学と大衆小説の差って、観察者のその「評価の違い」って気もするね。


>いや、わかりにくいから文学といっちゃうと、また違うんだけど。

 ↑共感。
 「わかりやすい言葉」と「短絡な思考」は、外見は似てるけど、ぜんぜん違うもんね。
 LINさんの言う「それこそ文学が忌むべきもの」ってのは後者のことなんじゃない?

(長くなったね。そろそろ打ち切るッス)

Posted by: ろぷ | April 14, 2006 at 14:09

>ろぷさん
うーん(^^;
ろぷさんが書いているのが結論ではなく
仮説や比喩だというのは、ちょっとよくわからなかったです。
ま、でもこれは私の感じ方だから。

>難しいことを難しく言うだけならサルでもできる。
うーん、私はもしかすると難しく書いてある方が好みかも。
もちろん、難しくても易しくても、中身がない文は
イヤですけど…
幼稚な文章や浅い考え方がダメなんです。
自分が年を取ったせいもあるのでしょう。
最近だと平野啓一郎の『文明の憂鬱』
エッセイ集なんだけど、吉本隆明っぽく哲学してるわけ。
文章ももっともらしいの。
でも、やはり浅い。
考え抜いていない。
ろぷさんにも、この平野啓一郎と吉本隆明を読み比べてもらえば
少しは私がいいたいことがわかっていただけるかも…

Posted by: LIN | April 15, 2006 at 10:02

こっちではお久しぶりです。
あっちでもか…

筒井康隆は高校時代によく読みました。
遠い座敷、エロティック街道などが好き… 実はそれ以降の筒井はほとんど読んでおらず、つい最近高まった再読熱の折り未読のものにも手をつけたのですが、やっぱりいいなと再認識しました。

ところで、更新停滞空間と化していたブログの引っ越しをしました。今度はこっちで…

KAJ TIEL PLU
http://hasyos.blog27.fc2.com/

Posted by: hasyos | April 17, 2006 at 09:12

>hasyosさん
おひさしぶりです~。
引越し、お疲れさまです。
記事、楽しみにしてますから書いてくださいね。
筒井、私が子供の頃といえば、
やはり『時をかける少女』ですかね。
(年がばれる!(^^;)
今はすたれ気味のSFですが、
停滞気味の現代小説の突破口はSFにありと
私は思ってるんですが…
ではでは、今からhasyosさんの新しいブログに
遊びにいきますねー。

Posted by: LIN | April 17, 2006 at 10:46

>平野啓一郎と吉本隆明

 なんとなくぼんやりわかる気がするッス。
 うまく言葉でいえないけれど、「難しい言葉」と「難しく聞こえる言葉」って感じですかね? もちろん吉本パパの方が「難しい言葉」の方ね。

 僕的にはどちらも、「その言葉、もうちょっと簡単に言い換えることができるんじゃないの?」と思う事もなきにしもあらずって気がしますけどね。なんか「高校生以下はわかる必要無い。バカは帰れ」と言われてる感じがするんですよ。
 作家さんならもっと使い勝手のある言葉も知っているハズ。それとも言い換える言葉を捜す時間が惜しいの? って感じてしまってね。
 言ってることはすごく深いし共感も出来る。けど、やたら考えてるポーズを紙の上に見せててもったいないなぁと感じてしまいます。娘はわかりやすい言葉なのに……

 そういう意味では、筒井さんってすごいと思いますね。ほとんど笑い話のようなナンセンスギャグの中に、チョロっと深いものが入ってたりしますもんね。気がついた人はそこだけでノックアウトされちゃう。

 んま、結局のところ、これも僕の好みかも知れませんけれどね。

Posted by: ろぷ | April 22, 2006 at 09:57

>ろぷさん
“書店員失格”さんが
「難解な文章を読むことこそが読書の王道。
読書はただ情報を得るだけではなく、
知性を磨き思考力を鍛えるためにある」
と書いていらっしゃいます。
http://ameblo.jp/sunaba/entry-10010796949.html
私の考えはまさにこれです。
簡単にいいかえてしまうことで、失ってしまうこともあると思うのです。
何度もいいますが、「むずかしい=すごい」ではないです。
むずかしい文章にすることで、よりその文章に深いひだができるんです。
『失われた時を求めて』も抄訳がありますが、私はそれはまったく意味がないと思ってます。
何年かかってもいいから、全部、読まなければ、よさがわからないと思う。
>バカは帰れ
そう思うなら、わかるように賢くなればいいと私は思うんですよね。
それは中学生とか大人とか関係なく。
まあ、ろぷさんと私の考え方の相違でしょうね。

Posted by: LIN | April 22, 2006 at 12:15

( ̄0 ̄; アッ
 ふと思ったッス。
 僕は少し、書く人間の頭で考えすぎなのかもしれませぬ。

 どうも「僕ならこう書くよ。その言い方だと漢語でキツいイメージになるから、あなたの言わんとしていることからズレるんじゃないの? 大丈夫?」とかツッコミを入れちゃうんですよ。
 必ずしも漢語が良いってわけではありません。場合によってはやさしい言葉のほうが合ってることもある。じゃないと児童書はすべて文学失格になっちゃいます。

 もちろん、読書好きの方々の、難しい事を読解する努力を否定するつもりはないですよ。作者の考え方まで読もうとするのがホントの読書ですからね。

 けれど作者側が、日常に使える言葉をムリヤリ漢語に置き換えて難しい文章に仕立て上げているとしたら、書き手としてはちょっと疑問なんです。読者にいらない負担をかけて、わかってもらう努力を怠ってる気がしてくるの。そのあたりが「バカは帰れ」と読めてしまう。努力するのは作者側なんじゃないの? って。
 僕はそのあたりが気になるのかもしれない。


>ろぷさんと私の考え方の相違でしょうね。

 考え方ってよりも、元から見ていた立場がちがったのかも知れませんね。そりゃかみ合わないハズだわ。
(⌒-⌒)

Posted by: ろぷ | April 22, 2006 at 13:55

>ろぷさん
>読者にいらない負担をかけて、わかってもらう努力を怠ってる気がしてくる
それは、ろぷさんが、エンタメ作家だからではないですか?
(もし失礼な発言だったらごめんなさい)
私なら、読者にわかってもらおうと思っている作家の作品は
読まないですね。
作家たるもの「ついてこれる奴だけついてこい」でいいと思ってます。
>見ていた立場がちがったのかも知れませんね。
というより、求めている作品の質が違うんだと思います。
少なくともろぷさんのスタイルだと、純文学は書けないと思う。
しつこいようですが「難解=純文学」というつもりはありませんよ。

Posted by: LIN | April 22, 2006 at 14:12

>ろぷさんが、エンタメ作家だからではないですか?

 かもしれませぬ(笑)
 最近そう思う事しきりですから。

 でも言い分を聞いてると「難解=純文学」または「カルト的好み=純文学」と聞こえてしかたがないです。
 深い思考をしているかどうかの差ではないのでしょうか?
 文章の難易度ではなくて。

 夏目漱石とか二葉亭四迷とかは当時としてはびっくりするくらい簡単な言葉遣いをしてるでしょ? もっと難しいことばが主流の時代にね。それこそ「わかってもらおう」という努力の最たるものだと思います。言葉がわかってもらわなければ思考についてこれるかどうかすら判定不能だ。このままじゃオタク的にトンガって消えてしまう。と、憂えた結果ですから。
 でも、だからってあれはエンタメにはならないと思うけどなぁ……

 まぁ、この議論、そろそろマジでやめましょうか。
 尽きない(笑)。

Posted by: ろぷ | April 22, 2006 at 15:24

>ろぷさん
うーん(^^;
たとえば、薔薇の美しさを表現するのにですね。
「美しい」
これってもっとも簡単な言葉でどんな人にも伝わりますよね。
でも文学って、それを「美しい」といわずにどうやって表現するかでしょう?
作家は読者に伝えようとするばかりに、単語が増えてどんどん難解になっていく。
読者も、作家のいう薔薇の美しさを理解せんがために、
賢くなろうと思う。
それを「どうせ読者はバカだから“美しい薔薇”でいいや」というのは
作家の怠慢でしょう。
ただ、エンタメ作家はストーリー重視だから、薔薇の表現に1ページも使ってらんない。
だから「美しい薔薇」でいいんじゃないんですか。

Posted by: LIN | April 23, 2006 at 11:23

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