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May 15, 2006

『更新期の文学』by大塚英志

更新期の文学更新期の文学
大塚 英志

春秋社 2005-12
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早稲田文学に連載された文学批評。
笙野頼子の『徹底抗戦!文士の森』では
大塚氏の「文学は不良債権である」発言ばかりが
クローズアップされていたため、私は彼を誤解していた。
この本に書いてあることは、とても賛同できる。
私も金を払ってまで、
他人の自己実現や「私」の存在証明のための文章なんて読みたくない。
ほとんどの日本の作家が、なぜ、イラク戦争の時、沈黙していたんだろうと思うし
憲法改正についてどう思っているのか、と思う。
世界は大変なことになっているというのに。
「そんなことを書くことが文学じゃないんですよ」というなら
文学って何ですか?
「私」という小さな世界でうろうろする事?
笙野さんには、今こそ「文学は何故、必要なのか?」という
大塚氏の問いに答えてほしいと思う。

<読書メモ>

11
近代に入ると西欧から「私」なんてものが入ってきて、
みんな「私」にならなきゃいけない、ってことになった。
その「私」を小説という形で表出したのが要するに「文学」

40
小説を「一人称」的に書き始めることで
「私」がそこにあり、
「私」が「私」であることが殆ど自動的に立証されてしまう。

68
「映画」とは、そもそも「神話」を持たない、
つまり、近代からこっち側しかない国家としてのアメリカが
それ故に「神話」の代償として必要としてきたもの。

98
「売れる」という価値の選択を不用意に「文学」がしてしまった時、
その選択は、小説の形式に確実に作用し、それを損なう。

125
「孤児」が出生の秘密を知り、仮そめの父母のもとを離れ、
旅に出て真の自分に出会って、そして真の父親と出会い、
強い父性に結合されるか、これを殺してとって替わるという
「英雄神話」のモチーフとして重ね合わせることで、
フロイトは「ファミリーロマンス」を近代的自我形成の物語として
再定義して「近代」に持ち込んでしまった。

129
「文学」が提供してきた「近代的自我」が、
受けての「私」のモデルないしは受け皿にならないという事態が
「文学」衰退の原因でもある。

135
彼らは「文学」によってつながりたがっている、
もしくは「つながり」を可能にする「文学」に飢えているんだなあ。

136
尊敬語や謙譲語といった「敬語」で、文章の主体と客体の関係を
比定する技術を進化させてきたことばに慣れた者たちにとって
何が何でも「私は」で始まる外国語はその一点で厄介だったはずだ。

138
ぼくは他人の自己実現や「私」の存在証明のための文章を
わざわざ金払ってまで読む気がしないだけの話である。

153
いきなり「内面」同士が、しかも、そもそも似たもの同士が集まる
サイトや掲示板で出会えば、初対面で心中しちゃう気になるぐらい
シンクロするよな。

157
日本国憲法の制定はその少なくとも「公共的なことば」への
一つの契機となりえたはずだ。

167
個々の作家の「アイデンティティ」及び「生活」の維持存続のために
「文学」は庇護されるべきだと「文学」自身がいうのは、
お役所の人たちが自分たちの天下り先として公団や公社が必要だと
考えるのと全く同じ発想。

169
「文学」が庇護なり支援を誰かから受け、しかしその相手からの介入を
拒否しうる根拠は何なのか。
それはやはり「公共性」ではないのか。

146
柳田の考えていたこと。
「私の存在証明文学」より先に、共通の新しい「人生観」をつくる。

147
今の「若者」もまた無邪気なほど、「つながっていない」感、
「つながりたい」感にさいなまれている。

149
舞城に仮に「新しいことば」の可能性があったとしても
「オレ達の文学」化することで、それは閉ざされてしまう。
(LIN感想
たとえば、ネットのような話の通じ合う仲間だけで話すというのは
“わからせる”必要がないから、ことばも退化する!?)

150
「ハンドルネームの私」は、一方では近代文学の
それこそ「告白という制度」に忠実でありながら、
その「告白」によって他人から、
へえ、あいつってこういう奴だったんだという視線に
さらされることがない。

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Comments

数日中に「アボカドの味噌漬け」に挑戦します。結果はブログで報告します。

Posted by: LSTY | May 15, 2006 at 15:26

>LSTYさん
お肉の味噌漬けの記事は拝見して「おーっ」って思ったんですよ。
え?まぐろもやったんですか?
それにアボガド?
チャレンジャーだなあ(笑)
今朝、NHKで燻製を楽しむ方々が紹介されてたんですが
LSTYさん、味噌漬けやるなら燻製もどうですか?
今は、部屋で簡単にできる燻製器があるんですって。
多分、これ↓です。
http://www.rakuten.co.jp/chokuhan/413937/713146/#599548

Posted by: LIN | May 16, 2006 at 08:56

なんとなく思うのですが、文学の側から「文学」は出てこないんじゃないでしょうか?
全然関係のないようなところから文学は生まれてくる。
そんな気がしてならないのです。
ごめんなさい。この記事のコメントにふさわしくないですかな・・・。

Posted by: take | May 17, 2006 at 12:19

>takeさん
>文学の側から「文学」は出てこない
うわっ、考えさせられるコメントですね。
これは作家には「文学」は書けないってこと?
それとも、「文学」を意識しているうちは書けないってことかなあ。
いやいや、もっと深い意味がありそうな…
私はやっぱり、太宰の時代から比べると、
今の若い作家たちは、切羽つまってないんだと思います。
「小説を書いてもいいけど、書かないと生きていけない」ってわけじゃない。
それにあの時代は、作家になるっていうのは、
ちょっとまともな人がすることでなかったと思うのですが、
今は、子供が「作家になる」っていたら、親は応援しかねない。
「もっとまともな職につけ」とはいわない。
何か作家がまともな職業になっている事態が、
文学にとって危機的状況ではないかと思ったり。

Posted by: LIN | May 17, 2006 at 18:58

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