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August 17, 2006

『小説修行』by小島信夫・保坂和志

小説修業

帯には
「ふたりの現役作家が生と死、科学と哲学、
百年前の小説とこれからの小説をとことん問いかけあう往復書簡」

と書いてあります。
まさにそういう内容です。

この中にたびたび登場する小島信夫の『私の作家遍歴』を
読みたいと思った。
が、なかなか手に入りにくいらしい。
復刊するといいな。

トルストイについてかなり多くのページをさいて
語っている。
先日、『戦争と平和』を読み終えておいてよかった。
保坂さんのいう「トルストイはぜんたいを書いている」というのは
私にはよくわからなかった。

カフカについて書いている箇所で
「現実でなく夢の方にこそリアリティがある」
保坂さんが書いている。
「夢はなぜかすべて夢を見ているあいだ、
夢を見ている本人にとってリアルである」

とも書いている。
私もそう思う。
もしかすると、小説というのは
あの夢の恍惚感・恐怖感を
いかに再現するかということではないのだろうか。

保坂さんはこんなことも書いている。

「フィクション然とした小説が私にはウソくさくて
たまらないのです」

「私だけではなくて、かなりの数の読者が
うまくできたフィクションよりも、
不完全でいいから事実を読みたがっているのだと思います。
しかし、一筋縄でいかないのは、
“ノンフィクション”や“ルポルタージュ”と銘打たれた、
作品化された事実が読みたいと思っているわけでもないことです」

これも、私が、ずっと考えていたことで
よくぞ、ことばにしてくれた!という感じだ。
私は、映画が嘘くさく感じられて
今ひとつ楽しめない人間なのだが、
映画にしても、フィクション然とした小説にしても
リアリティに近づけようとするあまりに
リアルからは遠のいていき嘘くさくなるのではないだろうか。
映画はもちろん、背景に街や風景が写るのだけれど
あれが邪魔なのではないか。

最近、私はシティーボーイズの舞台のVTRを好きで
よく見ているのだけれど、カフカ的な匂いがすると思う。
それから、シムズ(シムピープル)というゲームがある。
ゲーム画面には街があり、その中に、自分の分身といえる
シムズが暮らしている。
自分の思い通りの家も作れる。
その街で、シムズは仕事をしたり、友人と交流を深めたりする。
会話はないが、感情がイラストで吹き出しの形で表される。
ネットでシムズ日記、シムピープル日記を公開している人も多く
みんな自分のストーリーを作っている。
(イマイチ、よくわからないという人は
Yahooの検索窓に“シムズ”“日記”と入力し
さらに検索窓の上にあるブログをクリックしてみてください。
その手のシムズ日記がどっさり検索にひっかかります)

Sims

説明が長くなったが、このシムズもとてもカフカ的だと
私は感じるのだ。
カフカ、シティーボーイズ、シムズ…
共通点は何なのかゆっくり考えてみよう。

はじめてのシムピープル

●『小説修行』に登場し読んでみようと思った本
保坂さんがカフカが好きな人はチェホフも好きと
書いていらしたので、チェホフ作品。
『唐宋伝記集』
『りょう斉志異』
『演劇の未来を語る』byヤン・コット
『特性のない男』byムージル

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Comments

 リアルとフィクションの境界ってムズかしいね。
 少なからず書く立場から言わせていただくなら、まず第一にどこまでがリアルでどこからがフィクションでしょうか? と聞きたいかな。
 そのまんまをただ書くと、はっきり言ってリアルからは程遠いものになっちゃうってことはよくあるのよ。で、リアルに近づけるためにフィクションをちょっと混ぜるというのは、小説家やエッセイスト、それにノンフィクションライターの多くがやっている手法だったりします。ホントだよ。これはLINさんも書いてみるとわかるよ。

 まぁそれは極論としても、リアルとフィクションってよく考えるととても曖昧だよね。
 たとえすべてきちんと真実を書たとして、その書いてる瞬間に作者は「物語を書いている今の自分」と「物語を体験した過去の自分」とに分裂しちゃってるわけだよね。体験した自分を思い出しながら書いてる自分が追いかけてるの。
 一人の人間が分裂してるってのは、これすなわちフィクションなのではないでしょうか。じゃリアルな文章ってのはドコに行けば手に入るのでしょう?

 ……あぁ、僕は今、文章の開けてはいけないパンドラの箱をつっついてる気がするなぁ。この話題、僕はこの辺にしておきます。ヤバい(笑)。

 僕の考えでは、書かれたものって大なり小なりすべてフィクションだと思うけれどもね。あとから整理して書いてる時点で、どれだけがんばってもフィクションは必ず忍び込んでくると思う。リアルとの境界がわからんです。ドコで判断できるのもかわかりません。


 ところで。
 トル爺が全体を書いているってのにピンと来なくて、夢は許容できるのですか。
 あれまぁ、僕はLINさんは逆だと予想してたッスよ。このところはずしっぱなしだ(笑)。

 トル爺を考えるのは、結構読書経験が必要だから仕方がないにしても、夢に関してはLINさんってのは現実主義者だと思ってたッスからね。僕ぁLINさんのイメージを改めましたよ。
 そういえば。
 先日話していた、アーシュラKルグウィンのエッセイね。
 僕は「LINさんは読むのツライんじゃない?」みたいなことを書いたけれど訂正します。夢を許容できるならちゃんと読めると思うッス。ルグウィンも夢と物語について多くを語ってますからね。夢に興味がおありなら『夜の言葉』とか『ファンタジーと言葉』とかきっと面白いですよ。

Posted by: ろぷ | August 17, 2006 at 21:00

ろぷさんの
>僕の考えでは、書かれたものって大なり小なりすべてフィクションだと思うけれどもね。
という表現が、私の感覚にとても近かったので反応してしまいました。
小説を読んでいると「ありえねーよ」というセリフや行動がよく目に付くので
リアリティも当然気になっているわけですが
(だからこそいっそ幻想小説のほうがリアリティを感じる)
それ以上に、人物の行動や自然現象とかの、順序とか間、その必然性が保たれた情景描写(≒心理描写)が好きで
ちょっと偏っていますが、私の場合はもうそれが全てくらいの勢いで重視して読んじゃいます。

って、なんか迷子のような文章に。。。収拾つかなくなったので終了します。

Posted by: るちあ | August 17, 2006 at 23:58

>ろぷさん
>リアルとフィクションの境界ってムズかしいね
ねー、むずかしいですよね。
これって、個人個人で違うのかもしれないし。
>そのまんまをただ書くと、はっきり言ってリアルからは程遠い
そうなんですよ。
事実だからノンフィクションがいいかっていうとそうじゃなくて
ノンフィクションでリアリティがないものもありますし。
>体験した自分を思い出しながら書いてる自分が追いかけてる
ああ、同じようなことを保坂さんも書いていたような気がする。
そう、もう書いた時点で、それは過去の自分なんだよね。
>リアルとの境界がわからんです。
ろぷさんのいう“リアル”が私の考える“リアル”と同じかどうかわからないけど
“リアル”というより“リアリティ”でしょうね。
大事なのは。
本当かどうかより、本当っぽいかどうか。
記事にも書いたのですが、映画と舞台だったら、
映画の方が実写なわけだから、本当っぽくていいはずなのに
私は舞台の方がリアリティを感じるんですよ。
(全ての舞台というわけじゃないですが)
>トル爺が全体を書いている
“ぜんたい”というのが何を指しているのかがわかんないんです。
貴族のことも民衆のことも軍のことも書いたっていう意味?
うーん、違うなあ。
“全体”が“ぜんたい”とひらがなになっていることも、
何か深い意味があるのかなあって思いますし。
>夢は許容できるのですか
実は夢の世界の方が、本物なんじゃないかって思うことがある。
夢は私にとってまぼろしじゃなくて、すごくリアルな世界なの。
リアルといえば、映画「真夜中の弥次さん、喜多さん」は
二人がリアルを求めて旅に出るんだよね。
柄谷行人の『日本近代文学の起源』(読んですぐ挫折した!)の1章でも
リアリズムについて書いてますよね。
リアルというのは重要なテーマかもしれないですね。
>アーシュラKルグウィンのエッセイ
読んでみますねー。

Posted by: LIN | August 18, 2006 at 09:48

>るちあさん
>「ありえねーよ」というセリフや行動
ありますよねー。
私はそういうのが、一度、目についてしまうと、
もう読み続けるのがしんどいです(;´Д`)
>幻想小説のほうがリアリティを感じる
それはありますね。
でも、やはり幻想小説でも「ありえねー」というのもあるわけで
たとえば、ハリー・ポッターですが(あれが幻想小説かどうか定義はよくわかりませんが)
最初の頃は、魔法使いという突拍子もない設定の割には違和感なく
すっとあの世界に入れたのですが、ハリーが段々、大人になるにつれ
私にはリアリティが感じられなくなってきました。
大人と魔法というのが相容れないからかもしれません。
あ、でも、ハリーの先生たちは大人なわけだからどうなの?
って話になりますが…うーん。
>人物の行動や自然現象とかの、順序とか間、その必然性
ここ、ぱっと読んだだけでは、理解できなかったので
あとでじっくり考えてみたいと思います。
>なんか迷子のような文章に
私もそんなことがしょっちゅうです(^^;
「読んでいる人は何、書いているんだか意味わからないだろうなあ」
と思いつつ、自分の頭の中でまとまっていけばいいやと
ひらめくままに書いています。

Posted by: LIN | August 18, 2006 at 10:14

 僕はここ10年来、ほとんど村上龍と内田百間しか読んでないんですよ。それ以外で、作家を指名して読むということをしていない。で、考えてみれば村上龍には事実、百間先生には夢を求めているのかも知れません。

 あと、映画で思い出したけど「亀は意外と速く泳ぐ」は面白いと思いますよ。シティボーイズの脚本を書いていた三木聡の監督作品です。シティボーイズの小ネタが好きなら、かなりツボだと思います。岩松了が良い感じ。

Posted by: LSTY | August 18, 2006 at 10:54

小説の描写において、なまめかしい感触があったり恐怖を感じることはあります。でも、ストーリーにリアリティがあるか否かは、考えたことがありません。なぜなら、小説だからです。フィクション性という視点で論じると本質を見失いがちなのですが、小説と、ノンフィクションやエッセイなどの文章は、別物です。書き手の能力も、全く異なったものを要求されます。起承転結があれば小説だと思っている読み手が増えているように思えるんですけどね。ちなみに『特性のない男』は未完ですが、大傑作です。

何が「小説」なのか、どんな文章が「文学的」なのか、文学作品におけるリアリティとは何か、といった話になると異様に長くなるので、テリー・イーグルトン『文学とは何か』と、ジョナサン・カラー『文学理論』の2冊をおすすめしておきます。『文学とは何か』は基本です。大学一年のとき「夏休み中に読んどけ」と言われました。取り急ぎ『文学理論』を26ページから立ち読みしてもいいですね。50ページのカントの解釈など留保しておいたほうがいいところもありますし誤訳で有名ではありますが、とっかかりとしては最適だと思います。

『私の作家遍歴』は水声社から復刊の告知があったのですが、出る気配がないですね。
これは小島信夫にしか書けない、非常に独創的な作家論です。論じゃないかもしれません。

Posted by: kota | August 18, 2006 at 11:14

「フィクション然とした小説」というのは結局、小説をすべて事実らしさで覆ってしまおうとしているだけで、かんじんの小説のなかみに事実らしさ(LINさんのいう本当っぽさ)が足りないということではないでしょうか。その事実らしさの器(小説のぜんたい)は事実でなくていいし、事実らしくある必要もないわけです。いいかえれば、読者にとってのリアリティが大事なのではなくて、書かれていることが物語の登場人物にとってリアルであるかどうかが問題なのだと思います。ありえない設定・ストーリーでも、主人公が本気で悩んでる感じが伝わればそれで読者は事実らしさをうけとったということになるのだと思います。カフカの小説が(シティーボーイズもシムズもLINさんの夢も)まさにそうだし。簡単に式を書くと下記のとおりになります。
・事実として書くのがノンフィクションとか。
・事実らしく書くとフィクション然としたものになってしまう。
・事実らしさそのものを書けばよい小説になる。
・ほんとかよ。

Posted by: Rym | August 18, 2006 at 14:23

>貴族のことも民衆のことも軍のことも書いたっていう意味?

 "ぜんたい"はね、厳密にイコールでなつげることはできないけれど、僕のことばで意訳するなら"世界"かな。

 "世界"には、たしかに貴族や民衆や軍もいるけれど、他の国もあれば別の時代もあってズーっと無限につづいているものだよね。トル爺はそういうところまでチャレンジしているように僕には感じられるッス。
 んまぁ、要するにLINさんの大ッ嫌いな「自分の日常をこちゃこちゃ」的な、侮蔑の意味で言っている私小説とは正反対の次元をめざしてるのがトル爺だよ。
 ……というのが僕が読めたトル爺ですぢゃ。
 もちろんこれが正解じゃないけれどもね。


 それにしても。

>大事なのは。
>本当かどうかより、本当っぽいかどうか。

>リアルというのは重要なテーマかもしれないですね。

 リアルやリアリティってそんなに重要かなぁ。リアルなのがイイコトなの? んまぁ、たしかにある程度必要ではあるし、LINさんが好きなのもわかるけれどもさ、だからといってそんな必死になって出せ出せと求めるほどの価値が僕にはわからんです。そんなにリアルが必要なら、小説なんか読まないで新聞を読んでればいいんじゃないのかな? ま、最近の新聞はフィクション多いけどね(笑)。

 冗談はおいといて。
 物語にはさ、他にもっとたいせつなモノがある気がするよ。それを表現するためだったらときにはリアリティを犠牲にすることもあるよ。他の人の書き方は知らないし、僕は文学論を勉強したわけでもないけれどもさ、少なくとも僕の書き方ではそういう場合はある。
 でも、僕がそういうふうに書いたものは、中身うんぬん以前にただ「この作品はリアリティ不足だから読みたくない」って言われそうだね(笑)。
 んまぁ別にイイけどね。僕ぁ、新聞記者を目指してないから。

 過去から語り継がれた神話や伝承でリアリティを追求しているものがいくらくらいある? 名作のなかには? でも立派に受け入れられてるよね。
 思うに、リアリティうんぬんって言いだしたのってごく最近なんじゃないの? ちょうど出版業界が商売になっちゃったあたりからのような気もする。

 ……って話がむつかしくなる&疲れるのでこの辺でやめまする。
 ココまで書いても疲れた。

Posted by: ろぷ | August 18, 2006 at 16:24

こんばんは。
リアルとリアリティは、まったく別のものだと思います。
あたかも、現実と事実が、似ているようで全然違うものだと
いう感覚だと私は考えます。
リアルを忠実に描写したからといって、リアリティが発生する
とは限らないでしょう。リアルを分析する能動的な意識と、
それを表現できる文章力が必要不可欠でしょう。そして、文章力
を生み出すには、対象についての予備知識が無いと想定しうる
読者への伝達力、
さらに現実一般というものを熟知している経験と認識が必要であると
断言できます。
そうしたものが欠けていれば、どんなに貴重で豊富な経験をしていようと、
リアリティある文章をつづることなど不可能であると、私は経験的に
申し上げることができます。
>チェホフ作品。
『唐宋伝記集』
『聊斎志異』
『演劇の未来を語る』byヤン・コット
『特性のない男』byムージル
これはすごいラインナップですね。さすがはLINさん、素晴らしい。

Posted by: 多摩のいずみ | August 18, 2006 at 22:37

>LSTYさん
>村上龍には事実、百間先生には夢
なるほど~
『冥途』は未読ですが夢っぽい作品みたいですよね。
百間先生はエッセイが多いわけですけど、
なぜか全体的にぼんやりとして夢みたいだなあと
思います。
>「亀は意外と速く泳ぐ」
上野樹里ちゃんですね。
NHKの連ドラ「てるてる家族」に出演していた4姉妹のうち
上野樹里ちゃんが、女優としては一番、活躍してますね。
石原さとみはどこにいったんだ!?
「亀は意外と速く泳ぐ」見てみたいです。
「イン・ザ・プール」が三木さん初監督作品だったんですね!
あれを見た感じでは、三木さんはやっぱり短篇向きかなあとも
思ったり…

Posted by: LIN | August 19, 2006 at 09:20

>kotaさん
>ストーリーにリアリティがあるか否かは、考えたことがありません
そうか!
作品にリアリティがないと思っているのは、ストーリーじゃなく
表現、描写に原因があるのかもしれませんね!
>『特性のない男』は未完ですが、大傑作です
保坂さんも、ジョイスより現代小説として優れているとお書きになってますね。
是非、読んでみたいです。
でも、今、調べたら、1冊3600円で6冊もあるっ!
>テリー・イーグルトン『文学とは何か』と、ジョナサン・カラー『文学理論』の2冊
ご紹介ありがとうございます。
文学理論の本は大好物なので、是非、読んでみたいです。
>『私の作家遍歴』
出てほしいですよねー。
『小説修行』を出版する時に、一緒に発売しようと考えなかったのでしょうか?出版社は。
つまらない本をばんばん出版するなら、もっと復刊に力を入れてほしいですよね。

Posted by: LIN | August 19, 2006 at 09:40

>Rymさん
>事実らしさの器(小説のぜんたい)は事実でなくていいし
そうそう!そういうことです。
事実じゃなくていいんだよね。
>登場人物にとってリアルであるかどうか
ああ、これは考えもしませんでした。
そうかもしれないですね。
登場人物がその物語にうまくはまっているかどうかかもしれない。
kotaさんのコメントを拝見すると、ストーリーよりも実は描写によって
リアリティは左右されるという気もするし。
Rymさんは知ってそうなので、書きますが
三浦しおんがエッセイで紹介していた小説で
「紀元前2624年、建造途上にあるはずのピラミッドがなぜか発掘されている最中だった」
という内容にひかれて
高野史緒の『ラー』という作品を買ったのですが、これが読めないの。
1ページ目で「うへー、嘘くさい」なの。
内容はすごく気になるのに。
ある朝、主人公が虫になっている方がよっぽどもリアリティを感じます。
だから、やっぱり事実かどうかは関係ないんだね。
『ラー』は事実らしく書いちゃっているんだろうなあ、きっと。
でも、三浦しおんははまったらしいけど。
小説も読むけどマンガも大好きという人たちとは
私はちょっと好きな文章の嗜好が違うかもしれないです。

Posted by: LIN | August 19, 2006 at 10:02

>ろぷさん
>リアルやリアリティってそんなに重要かなぁ
多摩のいずみさんも書いてくださっていますが
私はこの2つをごちゃごちゃにして使ってました。
大事なのはリアリティで、それが事実かどうかではありません。
>小説なんか読まないで新聞を読んでればいい
だから、新聞ではやはりダメなのです。
ろぷさんも、私に引きずられて、リアルとリアリティが
ごちゃごちゃになってしまっているように思います。
(私のせいだ、ごめん!)
たとえば、カフカの『変身』
男がある朝、めざめて虫になっているなんてありえないわけですが
私にはとてもリアリティのある小説なのです。
kotaさんが書いてくださっていますが、ストーリーではなくて
表現や描写が問題なのかもしれない。
同じストーリーを、別の作家が書いたら、むちゃくちゃ嘘っぽくなるのかも。
Rymさんが書いてくださった、登場人物にとってリアルかどうかというのも
大切だと思いました。
『変身』で、ちょっとでもザムザが「ありえねー」と思ったらダメなわけで
ザムザが、虫になった自分を受け入れているところがミソなんだと
思います。
トルストイについてはやっぱりよくわからないです。
私自身がトルストイのよさがよくわかっていないせいもあるかもしれません。
何か他のトルストイ作品を読んで、またじっくり考えてみます。

Posted by: LIN | August 19, 2006 at 10:12

>多摩のいずみさん
>リアルとリアリティは、まったく別のもの
ご指摘ありがとうございます。
私がこの2つをごちゃ混ぜに書いてしまったから、
ろぷさんを混乱させてしまったのだと気づきました。
そう、ほしいのはリアリティなんですよね。
>どんなに貴重で豊富な経験をしていようと、リアリティある文章をつづることなど不可能
本当ですね。
どんなにすごい体験をしたとしても、文章力がなければ、伝わらないですよね。
とすると、私がリアリティのない小説だと思う作品は
その著者に文章力がないってことなのでしょうね。
>『聊斎志異』
は、以前、多摩のいずみさんに薦めていただいたような記憶があります。
>さすがはLINさん、素晴らしい
全部、知っている多摩のいずみさんの方が“すばらしい”ですよ。
kotaさんも『特性のない男』はお読みになっているみたいだし
みなさん、恐るべしです。

Posted by: LIN | August 19, 2006 at 10:23

>ろぷさんも、私に引きずられて、リアルとリアリティが
>ごちゃごちゃになってしまっているように思います。

 ありゃ。そう読めちゃいましたか。
 って読み返したらそう読めますね。
 議論に引きずられて書き方を間違えたかな? 反省。
 いやいや。僕は気にしていませんからご安心を。

 それにしても。
 レスを読んで、LINさんは「リアル」に関しては必ずしも必要ではない。という意見なのを聞いて僕は安心しました。ほんと「なら新聞でも読んどけよ」と僕はマジで思っちゃったもん(笑)。
 ああよかった。(´▽`) ホッ

 それでも残る、話にはリアリティが必要だから読者に出せ論には少しだけ納得できないかな。
 物語にリアリティがあった方が良い作品になる確率が高い。これは認めるけれど、必ずしもそうか……と、言われると疑問なんだよ。
 要はさ、キャラクターが物語の中で、その物語をリアルに感じていてくれればそれでいいんじゃないの? そのリアルに感じているキャラクターを見て、結果的に読者が自分でリアリティを感じるものなんじゃないのかなぁ?
 だから作者が作って差し出すものではないと思います。
 っていうか作れば作るほど嘘くさくなるもんね(笑)。

 図にすると、

 物語⇔キャラクター

 ↑この間でリアルであればそれていいんじゃないかな? 極端な話、キャラクター自身が物語をリアルに思っているのであれば、読者相手にはどんな荒唐無稽な作り話でも全く問題ないと思うけれども…… 違う?
 物語をリアルに感じているキャラクターを見ることで、結果、物語の外の読者が自分でリアリティを作り出す、と僕は思うけれどもね。
 SFなんてこのパターンじゃないのかな?

 あ。
 ココまで書いてふと上を見ると Rym さんも同じようなことを書いてたッスね。カブった(;^_^A 。
 ちょっとだけ付け加えると、
 僕の意見では、リアリティどうこうをいうのなら、作者の文章力とおなじくらい読者の読解力も必要になってくる気がするな。
 んま、読書がエンタメであるならば、客がムリする必要はないです。でも、芸術であるのならば、聴衆は理解する心構えがちょっとだけ必要だと思いますよん。
 人それぞれの考えなので無理じいはしないけれども。

 あと。
 作者がリアリティを作って読者とやり取りすると、

 作者⇔読者

 ↑になるね。
 これはもう小説ではないでしょう。
 読者相手に作者が直接どうこう言うのはエッセイや論文の仕事だもんね。少なくとも小説ではない。そしてコレを求める読者も、やっぱ小説の読者とはいえない気がする。


 ……んま、『変身』に関するLINさんのレスを見てると、わかっていらっしゃるとは思うけれどもね。でも、他でブレてる部分も感じるのであえて言葉にしてみました。
 このへんにLINさんの、SFへの苦手意識の一因があったりしてね。

 抽象的過ぎたらゴメンネ。
 念のため書いただけだからスルーしてくれてもいいよ(カブッてるしね(笑))

Posted by: ろぷ | August 21, 2006 at 20:03

>ろぷさん
リアリティの意味というのは考えてみたら幅広いかもしれません。
今、Yahoo辞書で調べたら「現実感。真実性。迫真性。」とありました。
ろぷさんは、多分、「真実性」について考えてくださっていると思うのですが
私が作者に求めているのは「迫真性」に近いです。
>キャラクター自身が物語をリアルに思っているのであれば
これは、Rymさんもお書きになっていて、私も一度は納得したのですが
これは、あくまでも書いている人目線の話であって、
読む人には関係ないんじゃないかなあという気がしてきました。
私は、いわゆる、ライトノベル的な物語がダメなわけですが
あれだって、作者は、「キャラクター自身が物語をリアルに思っている」ことを
信じて書いているわけでしょう?
でも、それが読者に伝わるとは限らないわけで。
>読者相手に作者が直接どうこう言うのはエッセイや論文の仕事
うーん、ちょっとこれは話がそれているような…(^^;
でもこの話は、リアリティの定義がろぷさんと私でずれている限り
(どちらの定義が正しいとかそういう話ではなくて)
かみあわない気がします。
今、柄谷行人の『近代文学の終り』という本を読んでます。
そこに書いてあるのが
リアリズムをもたらすのは三人称客観描写

日本の作家が「私小説」にこだわったのは
三人称客観描写という「象徴形式」になじめなかったから。

私小説は「リアリズム」を徹底しようとした。
そうすると、三人称客観という虚構が許せない。

芥川が「藪の中」で「三人称客観」が虚構でしかないことを
示した。

しかし「三人称客観」が与えるリアリズムの価値をとってしまうと
近代小説がもった画期的な意義もなくなってしまう。
ということなのですが、このあたりに、私が今、感じていることへの
ヒントがあるかなあと、考えています。

Posted by: LIN | August 22, 2006 at 09:59

>私は、いわゆる、ライトノベル的な物語がダメなわけですが
>あれだって、作者は、「キャラクター自身が物語をリアルに思っている」ことを
>信じて書いているわけでしょう?

 たしかに。
 信じているけれど描写するだけの技術が追いついていない。又は、読者の読解力を故意に過小評価して……要するに「アイツら程度のオツムならこのくらいの描写でよかんべ? このジャンルはこうやりゃ売れるダロ?」的な向こうからの押し付けのジャンル分け発想で書いてるね。こんなのは議論する必要するらないですな。
 作者の技量ってのはたしかに大前提。それプラス読者の読解力。じゃないのかな。
 っていうかリアリティうんぬんのたとえにこんなのを挙げる主旨がちょっとよくわからないけれども(笑)。

 LINさんにならって本を挙げるなら、再々話題にのぼっているアーシュラKルグウィン「ファンタジーと言葉」を挙げます。たしかこの本で「作者が見つけてきたものと読者の読解力が協力して紡ぐ物語」というニュアンスのことを述べられていたとおもいます。フィクションをリアルに書こうとするファンタジー作家の意見はちょっと読んでみる価値ありかもです。
 本を挙げたのでもう詳しくは言いませんが、僕が言いたい、この「書かれたキャラクターの目線」ってヤツは、実際に物語を書いてる人にしか伝わらない感覚なのかなぁ。もどかしい。

 「藪の中」がきちんと読めるのなら、いちど客観性、いわゆる神様目線の描写についても考えてみてくださいましな。神様じゃねー作家が書く神様目線にリアリティを感じる理由はなにか。そことファンタジーやSFとの違いはなにか。ってのをね。


 ちょっとだけ補足。
 前の僕の書き込みで「芸術であるならば、聴衆は理解する心構えがちょっとだけ必要」といったのはね。別に勉強しろとか俺の知性について来いとかそんな意味で言ったのではありませんからね。
 芸術であるのならば、でーんとすわって「さあ見せろ」というんじゃなくてさ。古代ギリシャの劇を聞く聴衆のように、ちょっとだけ黙ってシンプルに積極的に鑑賞してみてもいいんじゃないの? ってことが言いたかったの。

Posted by: ろぷ | August 22, 2006 at 11:46

こんにちは。
>つまらない本をばんばん出版するなら、もっと復刊に力を入れて
私はかえって、最近の本のことはさっぱりわからず、昔の本ばかり読んでいます。結果論ですが、ラッキーなのでしょうか。
>リアリティ
私は最近のヘタな小説よりも、芭蕉の俳句や『古事記』に登場するエピソードのほうが、
よほどリアリティを感じます。
>チェーホフ
私は『かもめ』と『桜の園』が好きです。どちらも、ストーリーはつまらないです。そこがまたすごいです。

Posted by: 多摩のいずみ | August 22, 2006 at 17:05

LINさん、こんばんは、、。
この記事は、大変勉強になるし、考えさせられました。
人によって、リアル感が違うので、一概には言えませんが、
人生、社会、をどう切り取っているか?が
小説ぐらいの、長いテキストになると、出てしまうんでしょうね、、。
 そこに、合う合わないで、作品、作家を私たちは選んでいるのだと思います。
少なくとも、私はそうやって、創作された、(それは、小説に限らず)ものを、もう一回、自分サイドに還元して読んでいる気がします。

Posted by: indi-book | August 22, 2006 at 21:05

>ろぷさん
>アイツら程度のオツムならこのくらいの描写でよかんべ?
いやー、それはないと思うな。
昔は、作家っていうと、ある程度、教養のある人しかなれなかったわけだが
今は、猫も杓子も作家になれる時代だから。
作家の頭の悪さがどんどんひどくなっている気がする。
三浦しおんがオススメということで高野史緒の『ラー』というのを買ったんですが
ハヤカワSFシリーズJコレクションってやつなんだけど
これもライトノベルみたいなものなんだろうか?
文章がひどすぎる…
「メトフェル…。驚きました、ごめんなさい。
危うく呪いの言葉を口にしてしまうところでした」って
うへー、マンガだよ。
>読者の読解力
意味がわかるかどうかは、読者の読解力が必要だと思いますが
リアリティはあくまでも作者の責任じゃないですか?
少なくとも作者が「読者に読解力がないからだ」という逃げ道を
持たない方がいいと思うなあ。
>アーシュラKルグウィン
といえば、映画「ゲド戦記」に関する声明みたいなのを出したでしょ?
怒るのも無理ないよね。
宮崎駿が撮影すると思っていたんだから。
『ファンタジーと言葉』は読んでみようと思っています。
しかし、先日、SFを差別するなっていっておきながらアレですけど
ファンタジーはまた特別なジャンルのような気がします。
>神様目線の描写
神様目線かどうかはわからないけれど、
柄谷行人がいう「三人称客観」は理解したいです。
>聴衆は理解する心構えがちょっとだけ必要
これが「シンプルに積極的に鑑賞してみてもいいんじゃないの?」
という意味だというのは、ちょっとよくわからなかったです。
柄谷の本を読んで、わかったのですが
昔は、「小説」というのは、むずかしい哲学と大衆をつなげる
橋渡し的役目をしてたんだと思います。
しかし、今や、作者自身が哲学を考えることなく、
ただの娯楽としてのストーリーテラーになってしまっている。
娯楽としての小説を楽しめる人はそれでいいのでしょうが
私はそういうのはちょっとダメですね。
そのあたりが、私の思うリアリティとつながるのかもしれないです。

Posted by: LIN | August 23, 2006 at 09:42

>多摩のいずみさん
>昔の本ばかり読んでいます。
正解だと思いますよー。
今の日本の作家の小説はひどすぎます。
それを読むなら、古典で読むべき作品がたくさんあるように
思います。
そもそも、小説以外に読むべき本がたくさんあったりするので
そろそろ小説はいいかなあという気もしています。
「小説はしょせんフィクション(虚構)だ」ということが
私はどうしても乗り越えられないようです。
(もちろん、フィクションでも感動する作品は多々ありますが)
あとは、古典といわれるような作品を読んでいけばいいかなあと。
(それだけでも結構、たくさんありますが…)
>チェーホフ
先月、新潮社から発売された『チェーホフ・ユモレスカ』はお読みになりました?
本邦初訳15篇も含まれているそうです。

Posted by: LIN | August 23, 2006 at 09:49

>indi-bookさん
いいかげん、疲れるので、小説が何かなんて考えるのは
やめたいんですが(笑)やめられないですねえ。
私の中に、フィクション(虚構)への疑問というのがあって
それがぬぐいきれないんです。
>合う合わない
というのは、ホント、人によって違いますね。
他の方が「とても感動した」とおっしゃっている作品が
自分は感動できなかったり。
>創作されたものを、もう一回、自分サイドに還元して読んでいる
同感です。
同じ作品を読んだとしても、頭の中に描かれている世界は
一人、一人、違うのですよね。
それって不思議な気がします。

Posted by: LIN | August 23, 2006 at 09:54

 最後に。

>しかし、先日、SFを差別するなっていっておきながらアレですけど
>ファンタジーはまた特別なジャンルのような気がします

 アーシュラKルグウィンの作者としての活動を知っています?
 彼女はたしかにファンタジーを書いていて代表作もファンタジーという理由でファンタジー作家のレッテルを貼られていますが、SFも書いているし文芸作品も書いていますよ。あと文芸評論や批評もやっているしエッセイも書いていればいろいろな集会でスピーチもしています。
 そういう感覚ってものすごい差別な気がする(笑)。
 ジャンルって、出版社が決めたルールだよ。


 他の人へのレスに割り込んじゃうけれど

>私の中に、フィクション(虚構)への疑問というのがあって
>それがぬぐいきれないんです。

 そういうのあるよ。
 良い悪いは抜きにしてね。この世にはどうしても合わないモノはあると思う。人間だもんね。ムリする必要はないんじゃないかな。

Posted by: ろぷ | August 23, 2006 at 10:27

>ろぷさん
>ファンタジーはまた特別なジャンル
すみません、文章のつなぎに失敗しました(;´Д`)
これはアーシュラKルグウィンのことをいったわけではないです。
私は彼(彼女?)の作品を読んだことありませんし…
ただ、私が読んだ数少ないファンタジー作品の『ハリーポッター』を
読んだ感じでは、ファンタジーというのは、ある種、特殊な想像力を
必要とするなあと思ったのです。
>ムリする必要はないんじゃないかな。
ありがとう~。
私も、何だか自分には小説は合わないんじゃないかって気がしてきました。
今後は、古典以外はそんなに読まないかも。
ブログタイトルも変更しようかなと思ったんですが
「やっぱり小説が好き」じゃなくて「やっぱり本が好き」だから
このままでいいよね?(笑)

Posted by: LIN | August 23, 2006 at 12:22

>私が読んだ数少ないファンタジー作品の『ハリーポッター』
 それ……(笑) ひょっとしてハヤリモノ好き?
 んまぁいいや。
 でもそんなのを基準にしてジャンルを否定してたって聞いたらファンが怒るよ(笑)。
 あれはたしかにその通り。ある種の特殊な想像力を必要とするだろうね。でもそんなこと言っちゃったら、ラノベのなかの一番底辺の作品だってある種の特殊な想像力が必要でしょ。ラノベ以外でもどの分野でもさ。最底辺に属する作品はみな同じでしょ。

 もうこの系の「ジャンル論」みたいな話題はあんまり触らないほうがよいかもね。基本的に今の(あくまで「今の」だよ)LINさんには合わないんじゃないかな? 決め付けやいらぬ誤解やケンカのタネになりそう。

Posted by: ろぷ | August 24, 2006 at 08:21

>ろぷさん
>ハヤリモノ好き?
え?『ハリーポッター』ってファンタジーでも
ちょっと下に見られているの?もしかして?
あー、でも私も、おもしろかったのは『アズカバンの囚人』までで
『不死鳥の騎士団』でもうムリって思った。
だから最新作、買ってません。
多分、読みません。
>ジャンルを否定してた
否定はしてませんよー(;´Д`)
ただ、ファンタジーというのは読者を選ぶというか
特別な才能が必要というか。
大人になるとサンタ=クロースを信じなくなるように
大人になると、ファンタジーが読めなくなる人は多いと思うな。
だから、「大人向けファンタジー」というコピー文があるのでは?
>LINさんには合わない
確かに私自身のストライクゾーンが狭いというのはありますね。
いや、ファンタジーが嫌いなわけじゃないんですよ。
SFだってある意味、ファンタジーだし、
カフカだってファンタジー。
今、Wikipediaのファンタジーの項目を見てみた。
近代文学のおけるファンタジーは
「リアリズム文学に対するアンチ・テーゼとして出発している」
そうなんですが
『指輪物語』をきっかけに「神話の構築という独自の立脚点による作風」
が増えているそうで、神話という意味では興味あるかな。
ライトノベルにあるような、マンガちっくなのはダメだけどね。

Posted by: LIN | August 24, 2006 at 09:28

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