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August 10, 2006

主人公と作者

●主人公と作者
森茉莉の『贅沢貧乏』の主人公は牟礼魔利なのだけれど
私はこの作品を読んでいる時、
牟礼魔利は森茉莉なのだと思って読んでいる。
それっていけないことなのだろうか?
どうも、私小説でない限り、
主人公と作者は分けて考えるべきだという考えがあるらしい。
私は作者が作り出した架空の人物など小ざかしいと思うのだ。
ポワロのようなエンターテイメント作品は別ですよ。
でも、純文学で、明らかに作者に似ている主人公の場合
「いや、この主人公は私ではありません」って
いわれてもなあ。
「これは私自身です」っていわれた方が感動しない?
贅沢貧乏

●『残光』by小島信夫
今、小島信夫の『残光』を読んでいる。
90才になった老小説家の日々を描いた作品。
さっきの話にもどるが、
小島さんも「いや、この主人公は私自身ではない」と
おっしゃるだろうか?
いわないような気がする。
感想は、また日を改めて書きますが、
エッセイのようなんだけれど、話がもどったり繰り返されたり
でも、それは計算のうえでやっているような、不思議な作品。
私は青木淳悟の『四十日と四十夜のメルヘン』に似たものを
感じた。
オススメですよー。

残光

●Esquire(エスクァイア日本版) クラシック特集
Esquire (エスクァイア) 日本版 2006年 09月号 [雑誌]

ワルツさんに教えていただいたのですが
今月のEsquire(エスクァイア日本版)はクラシック特集、CD付き。
またそのCDがいいらしいです。
私も買う予定。

●ショウペンハウエル
ネットで見つけた記事より。

ショウペンハウエルが「読書について」でいいこと言っている。
読書は他人にものを考えてもらうこと。
だから本を読むことは他人の思考過程をたどっているだけであって、
自らの思索の自由を阻めることになる。
書物から読み取った他人の思想は、他人の食い残し、
他人の脱ぎ捨てた古着に過ぎない。
ヒマさえあれば本に向かうという生活を続けて行くと、
精神が不具廃疾になるという。
さらに追い打ちで多読を批判をする。
自ら思索しようとせず、最初から本に頼る。
書物によって知り得たにすぎない知識や思想を、
あたかも自分のもののように振り回す。
まさにバカにハサミ。
多読すればするほど、自由な思索にバイアスをかかることに
気づかないまま、自分のアタマでは1ミリだって考えられなくなる。

●OXOサラダスピナー
Oxosalada
OXO サラダスピナー S

OXOのサラダスピナーを買いました。
「たかが野菜の水切りでしょう?手でぶんぶんってやればいいじゃん」
というなかれ。
すごくよく水が切れて、野菜がしゃきっとして、ドレッシングのからみが
よくなります。
それもボタンを押すだけのワンタッチ。
「今まで食べていたサラダは何だったんだーっ!」って思うよ。
ついでにレンジでポテトチップスができるという器具も買った。
油で揚げないからヘルシー♪
Potatochips
レンジで簡単 パリパリチップス

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Comments

>レンジで簡単 パリパリチップス

 これっておいしいんですか?ノンフライのポテトチップスって、たしか森永が出してましたけど全然おいしくなかった覚えがある。やはりポテトチップスというのはポテトに油が加わっておいしいのではないかと。
 LINさん的にはどうでしょうか?

Posted by: LSTY | August 10, 2006 at 13:22

こんにちは。サラダスピナーすごそうですね。
私も先日手動ですが野菜の水切り道具を使いました。
グルグルとハンドルを回すとあっという間に水がとびちっていくので感動します!!欲しいけど一人暮らしだとどうかな~と迷う一品かも?

>「読書について」

私は学生時代にこの本を読んだんですが、そのときは「読書」っていいもんだよ~てな風に読んだような気が・・・
( ̄Д ̄;; 誤読していたんでしょうか。

気になったので読み直すかなあ・・・。

Posted by: moji茶 | August 10, 2006 at 14:14

LINさん、暑中お見舞い申し上げます♪
おお、サラダスピナー買ったんですね~!
そうそう、これを使ってしまうと、今までのサラダは水っぽくて食べられたもんじゃないですよね。ぐるんぐるん回して下さい(笑)しかし、油で揚げなくともポテチが作れるなんて、とても斬新、新発見。ヘルシーでいいですね。

>分けて考えるべきだという考えがあるらしい。
うーむ、それってちょっと寂しい気がしますね~。わたしも牟礼魔利は森茉莉そのものに感じますよ。仰る通り、エンターテイメント作品は別だけど、主人公に惚れ込んだら同じように作者にも惚れ込んでしまいます。分けて考えるなんて俺には出来ない・・・(笑)さらに、作品とは関係のない私生活まで知りたくなってしまう、ちょっと気持ちの悪い読者かも・・・(笑)

Posted by: さなちん | August 10, 2006 at 14:28

たぶん文学部(文学科)を出ている人はみんなそうだと思いますが、私も
「作品は描かれてることが全てじゃゴルァ!」(←亀田パパの口調でお読み下さい)
と叩きこまれてきました(^^;)。
当時入っていた文学サークルの読書会でも、作者がこうだからこの主人公はこういう奴に違いない!といった読み方をする人はちょっとバカにされてたり。

確かにあまり極端な混同は誤読のモトになります。
たとえば綿矢りささんはあのようにかわいらしい方なわけですが、彼女の『蹴りたい背中』の主人公ハツが美人であるとは作中には一言も出て来ないんですよね。
でも一部の読者は勝手にハツ=りさたんと思って、ハツは美少女!という前提のもと読んでしまう。
そういうバイアスがかかると、目が曇って見るべきものが見えなくなることはあるかもな、とは思います。
(たとえが低レベルですいません…)

そうは言っても、私なども太宰の「父」とか「桜桃」を読むときなんかはついつい主人公と作者を重ねてしまい(意識的にそう思わないようにしないと難しい!)、後になって奥さんのエッセイで「あんなことはなかったんだよ~ん全部太宰の嘘だよ~ん」と種明かしをされてショックを受けてたりします(笑)。
私小説の手法を逆手に取るのが太宰の得意技だって分かってるつもりなのに、まんまと騙されてしまう私。
私のような読者を主人公に、太宰は「恥」という短編を書いてます。
なかなか辛辣ですが私小説の虚構性について考えさせられます。
青空文庫にも入ってますので、よろしかったらどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/262_20045.html

Posted by: Mlle C | August 10, 2006 at 23:23

>LSTYさん
>これっておいしいんですか?
それがまだ試してないんですよー。
そうか!
確かに、油分がないとおいしくないかも…
これ、かぼちゃやはすでもできるんですけど、
かぼちゃなんかはただ網焼きしてもおいしいので
いけるかもしれないですね。
市販のポテトチップスはもう何年も食べていません。
1袋で500k㌍とか600k㌍とか怖ろしすぎる…(;´Д`)

Posted by: LIN | August 11, 2006 at 08:50

>moji茶さん
おー、moji茶さんもお買いになったのですね。
私も、野菜の水切りごときにお金を出すのは…と
長いことためらっていたのですが、これは買ってよかったです。
今まで、ずっと、びしゃびしゃした野菜を食べてたんだなあと思いました。
>「読書について」
これは私は未読なんです(;´Д`)
ネットで、この本について書いてあって
「お、おもしろいことが書いてあるなあ」とメモしました。
>「読書」っていいもんだよ~てな風に読んだ
全体のトーンはそうなのかも~。
近いうちに読んでみたいです。

Posted by: LIN | August 11, 2006 at 09:03

>さなちんさん
サラダスピナー、やっと買いました。
買うほどのものかなあーとずっと悩んでました(・∀・;)
でも、買ってよかったです。
こんなに水が切れるとは!
私は野菜に関してはサラダより根菜煮物派なんですけど、
これのおかげでサラダの登場が増えそうです。
ポテトチップスメーカーの方はまだ試していません。
上でLSTYさんが「油分がないとおいしくないのでは?」と書いてくださって
そういわれてみると確かにそうかも…(;´Д`)
>作品とは関係のない私生活まで知りたくなってしまう
私もー。
週刊誌的興味なのでしょうか?
だから好きな作家のエッセイ、大好き♪
>分けて考えるなんて俺には出来ない
わーい、よかった♪
ナカーマ( ・∀・)人(・∀・ )
何人かに質問してみたら「作家と主人公は分けて考える」という方が多かったので
「うえっ!私だけなのか!?」と悩んでいたのです。
でも、上↑でMlle.Cさんが教えてくださったのですが
文学部では「作品は描かれていることが全て」とたたきこまれるんだそうです。
うーん、文学ってむずかしいですね。

Posted by: LIN | August 11, 2006 at 09:15

>Mlle.Cさん
うわー、わかりやすく解説してくださってありがとうございます♪
そうか、文学部の場合、大学でたたきこまれるのですね。
確かに、作品に書いてないのに、主人公の顔を作者に当てはめてしまうというのは
危険なことですね。
『恥』は10代の頃、読んだことがあります。
太宰も、作家と主人公をだぶらせちゃいけないという
考えってことでしょうか?
昨日、小島信夫さんの『残光』という作品を読み終えたのですが
その中で小島さんも「実名がつかわれているとはいえ、小説の一部である」
とお書きになってます。
しかし、実名が使われていても「これはあくまでもフィクションなのだ」
と読まなくてはいけない読者もしんどいよねえ(笑)
でも、今度、純文学系の作品を読む時は、
できるだけ作者を思い浮かべないよう読んでみようと思います。

Posted by: LIN | August 11, 2006 at 09:30

小説をどう読もうが自由です。作者が美人なら美人を想定し、作者が不細工ならこれは作者じゃないと思って読めばより楽しく読めるものです。作中に不細工だと書いてあるのに美人と思い込むのもあるいは自由です、でも誤読ですけどね。もちろんテクスト命というのもわかるのですが、どんな作品であれ、ひとりの作者が書いたものなら、そこに作者がいないことのほうがおかしいともわたしは思います。太宰のあれは作家の照れ隠しと読んでもいいのでは。作家論と作品論の違いみたいなのもありますし、まあいろいろですね。あと、小説とフィクションはイコールではない、とわたしは考えます。小島さんが小説だというのなら、それは小説でしょう。でも、だからフィクションだということには必ずしもならないと思います。小説は、もっと寛大なものであるべきです。
で、ショウペンハウエルですけど、あんなのは嘘です。というか、読書が他人の思考過程をたどるだけって、そんな真に受けるばかりの読書だけが読書じゃないでしょ、とは思います。読書のなかにも思索の自由はありますよ。逆に、読書しながら考えないひとなんているんですか。考えるって何でしょう。理解しようとする態度は考えるということとは違うのでしょうか。それに、書物によって知り得た知識や思想を自分のものにしてはいけない理由はないでしょう。それとも、思想というのは、考えるひとのもとに自然発生するものなのでしょうか。考え方を択ぶのも個人の判断であり、そこには思考が介在するでしょう。だって、書物による経験が自分のものでないとしたら、犯罪も死さえも、すべて体験しろってことになりませんか。また、いわゆる受け売り野郎と多読のあいだにも因果関係なんてないと思います。ただ、年間1000冊読む受け売り大好き人間もいる、というだけのことだと思いますよ。では新聞はどう読んだらいいのでしょうか。それとも新聞は書物とはいえない?

ま、ぜんぶ受け売りですけどね。笑

Posted by: Rym | August 11, 2006 at 20:24

こんばんは。
>『読書について』
これはショーペンハウアーの随筆集、『パレルガ・ウント・パラリポメナ』からの抜粋集です。
私は高校のときに読んで、非常に面白くて大好きになりました。
私は個人的には、優等生的な正論よりも、確信犯的な極論のほうが好きなので。
どんなに奇抜な極論であっても、原文をよく読み想像力を働かせれば、
著者の本当の意図というものがわかってくるものだと思います。
ただ字面を追うだけでは、本を読んでいても面白くない。
文章に秘められた筆者の意図や感情、世界観や人間などを読み取ることができてこそ、
読書の醍醐味もあるのではないかと思う次第であります。
この『読書について』にしても、ショーペンハウアーのほかの著書、
『意志と表象としての世界』や『倫理学の2つの根本問題』などを読んだり、
ショーペンハウアー自身の経歴を知っていれば、おのずとエスプリの利いた
洒落だということがわかります。
このショーペンハウアーの随筆集は、読書以外にもいろいろな項目があって、
どれも独断と偏見に満ちていて抜群に面白いです。ただし、女性に関する項目には、
お怒りになられるご婦人方が多いかもしれません。

Posted by: 多摩のいずみ | August 12, 2006 at 00:45

 ショウペンハウエルの読書論はね、たしか岩波の文庫で薄いヤツが売っていると思いますよ。他のナントカ論二つくらいとセットになってね。
 僕は数ヶ月前に再読いたしました。
 上記の方々も言われているけれど、んまぁ、一つの考え方じゃないかな。んでもショウペン自身もあれだけの著述を残すためにはきっと色々な読書をしたと思うんだが?
 論はそのあたりを注意深く避けているような気がするな。
 僕にはこの論は、2ちゃん的に表現するなら、壮大な「釣り」に見えました。上記多摩のいずみさんの意見にも似ているけれど、僕には、なんていうか一種のネタに見えるんだよねぇ。
 LINさんが読むとどうだろう。
 ものすんごく吠えるか、大絶賛するかのどっちかなのかな?
 どういう反応をするかちょっと見てみたい。
(⌒-⌒)

 小説うんぬんに関しては。
 読むだけなら「こうあるべきだ」と決めちゃうのはちょっと野暮じゃないかな。「私小説=作者」だろうが「いや違う」だろうが「これがルール」と決めちゃうのはどうかと思う。
 そんな窮屈な取り決めよりも、もっと、自由な……多少の約束事だけあってそれを皆でワイワイ楽しむような……たとえば休日にみんなで集まってやる草野球みたいな寛大さでのんびり読んだ方がいいんじゃない? その方が絶対楽しいよ?
 んま、プロでやっていこうと思うとキツイ読み方もしないといけないけれどもね。でもそんなの。楽しくないし。楽しくない趣味なんて趣味としては二流だよ。
 ……と僕は思いまする。

 あと。

>私は作者が作り出した架空の人物など小ざかしいと思うのだ。

 ↑物語"だけ"を楽しむためなら、僕も同意。
 でもそれを通して言いたいこと、つまりテーマがあれば別だけれどもね。
 世の中には言葉で説明できない事の方が多い。んで、それを知ってもらう手段としての架空のたとえ話なら僕は許容できるな。っていうか物語ってヤツはそういう役割を果たすために生まれたと僕は思うの。
 だからそれ以外の架空の話を、僕は認めない。
 作者に言いたいテーマも無いのに架空の話をウダウダしてもさ、デムパヤロウの妄想と大差無いもんね(笑)。
 そのあたりはLINさんと僕は意見が同じじゃないかな。

 んま、こんな事は、深いテーマでもきちんと読み取れるだけのれっきとした読書力がないと大声で言えないことかもしれないけれども。
(ごらんのとおり、僕はありません(笑)。だから大声で言えません)

Posted by: ろぷ | August 12, 2006 at 06:41

LINさん
こんなのもあります。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1593_18101.html

ま、どう読もうが読者の自由だってことですよね♪

Posted by: take | August 12, 2006 at 09:05

>Rymさん
>作者が不細工ならこれは作者じゃない
Rymさんってホント、美人好き(笑)
笙野頼子の作品の場合も、やはり美人を思い浮かべるのですか?
>作者がいないことのほうがおかしい
そうだよねー。
Rymさんにそういっていただいて勇気がわきました。
実は他のブログで、この件について、「作品と作家はまったく別」
と、こてんぱんにやられたばかりなものですから(;´Д`)
>小説とフィクションはイコールではない
おお、なるほど!
小説というのはもっと懐が広いものなのですね。
>ショウペンハウエル
これは、ネットに書いてあったのを、ぱっとコピー&ペーストしただけで
原文は読んでないのですが…
そうか、多読と受け売り野郎はまた別だものね。
多読でも身につく人は身につくと。
この問題は原文を読んで、改めて、考えてみたいです。

Posted by: LIN | August 12, 2006 at 09:21

>多摩のいずみさん
>『パレルガ・ウント・パラリポメナ』からの抜粋集
うわー、さすが多摩のいずみさん。
そんなことまでご存知とは!
えー、それも高校生の時にお読みになったのですか!
ああ、高校生の時、多摩のいずみさんがお友達だったら
私も、もう少し、まともな人間になれたかもしれない…
>世界観や人間などを読み取ることができてこそ、読書の醍醐味もある
まったくその通りですね。
私もどこまでそんな読書ができているかわかりませんが、
少しでもそういう読書に近づきたいです。
>どれも独断と偏見に満ちていて抜群に面白いです
この「読書について」も含め、是非、読んでみたいです。

Posted by: LIN | August 12, 2006 at 09:37

LINさん、こんにちはー。
私はこちらのブログも拝読しているので、LINさんの仰りたいことを普段の記事から繋げて推し量ることもできたのですが、先方ブログに書き込むにはいささか唐突な疑問だったかもしれません…。

それと、
>「作品と作家はまったく別」
ということではなく、「作品と作家が100%同じではあり得ない」ということだと思うんですよね。
作家が作品の中に投影されるのは当然だと私も思いますし、そう思ってそれを探りつつ読むのも有りだと思います。
逆を言えば、エッセイにだって面白く読ませるために多少の誇張や歪曲は含まれているだろうと思うんです。
で、その辺を判断する時の、読み手のスタンスは自由でいいと思います。

Posted by: TRK | August 12, 2006 at 09:52

>ろぷさん
ショウペンハウエルのこの文は、ネットで拾ってきただけで
原文は未読なんですけど、「おっ!」と思ったんです。
うーん、そうか、「釣り」かあ。
私は多読はいいと思うんですけれど、「何も考えずに読む」のは
ダメだろうなあと考えます。
いずれにせよ、原文を読んでみたいです。
小説うんぬんは、私も自由に読みたいんですよ。
でも、他のブログでこの話になって、
「作品と作者を分けて考えるのはあたりまえじゃないか、アホか」
くらいのことをいわれたんですよー(;´Д`)
だけどさー、作者も、明らかに作者と思われるような登場人物出してさあ
「これは作者じゃない」もへったくれもないと思わない?
私はなぜ、作家がそこまでムキになって、フィクションであることを
強調したがるのかがイマイチ、よくわかんないんですよー。
>作者に言いたいテーマも無いのに架空の話をウダウダ
そういう作品、多いよね。
小説なんてどうせウソなら、じょうずに騙してほしいっていうのはあるよね。
最近の作家の作品を一行読んだだけで
「うへー、このウソっぽさ、何とかしてくれー」って思っちゃうのは
結局、ヘタなんだと思う。
特に純文学系。
ヘタな純文学なら、SFの方が全然、リアリティあると最近、思います。

Posted by: LIN | August 12, 2006 at 10:23

>takeさん
ご紹介、ありがとうございます。
この作品は初めて読みました。
興味深い内容です。
分相応にたのしむかあ、うーん。
この問題は、まだまだゆっくり考えてみたいと思います。

Posted by: LIN | August 12, 2006 at 10:31

>TRKさん
TRKさんにはいろいろ、ご心配おかけしたと思います。
ホント、すみません(;´Д`)
私も今、考えるとなぜあんな質問を唐突にしてしまったんだろうとは
思います。
きっと、この問題を考えた時、気づかないうちに、
私の深層心理に作家Sの影がちらついたのかもしれません。
ただお二人があんなに腹を立てられたのには驚きました。
もちろん、私も途中でカチンときたので書き方、きつくなりましたけど…
それにしても管理者の方の「勉強して出直せ」発言はびっくりです。
確かにあの方たちから見ると、私の読みは浅いし曖昧かもしれませんが
そういうことも含め、語り合えないなんてつまらないなと思ってます。
お二人がなぜあそこまで熱くなってるのかもさっぱりわかんないです。
(そもそも管理者の方が作家Sのどこが好きなのかも、
ブログを読んでもさっぱりわからないのです)
だから、私はもうあのブログと関わることはないと思います。
でも、TRKさんのところには遊びにいきますよん。
もし、それが何かご迷惑になるようだったらいってくださいね♪
>作品と作家が100%同じではあり得ない
ああ、それならわかります。
創作と現実がmixされた感じというのでしょうか。
でも、全部、創作として読まなくてもいいですよね?
>読み手のスタンスは自由でいい
ですよね。
これからも「曖昧」といわれようが「バカ」といわれようが
私なりの本の感想を書いていきたいと思ってますので
どうぞよろしくお願いしま~す。

Posted by: LIN | August 12, 2006 at 11:09

LINさん、こんにちは。
TRKさんへの横レスになり、失礼します。
確かにLINさんの質問のコメントは唐突でしたよ。
でも今までだってそういう質問や問題提起の仕方をしてきて、それが許されていたはずです。そして管理人さんも丁寧に答えてくれていた・・・作家Sの本を愛読している限りは。
だからあのような結果になったのは、LINさんがSの書くものを否定してしまったことで感情を害されたのが元々の原因だと思います。
僕が過去に、どっからどうみたって「作家Sの専門店」であるこちらのブログで自由に発言していいんですか?と念を押したことを覚えていらっしゃるでしょうか。管理人さんは、どんどん自由に語ってくれと仰って下さいました。しかしそれも制限つきの自由だったようです。
僕自身は、途中まであのやりとりを中立の立場で眺めていました。だってLINさんもあちらの管理人さんも僕は好きですからね。今でもそうです。しかし途中から管理人さんは踏み越えてはいけない一線を越えられてしまった。議論をする時は、発言を否定しても相手の人格を否定することはまかりならぬ、とかつて父親に教わりました。
僕は今でもあちらの管理人さんのブログもLINさんのブログも好きですが、あちらに出入りすることはもうやめたし、その旨を伝えました。非常に残念です。が、こればかりはどうしようもない。
上記、LINさんのTRKさんへの落ち着いた物腰のコメントを読んで少し気持ちがスッキリしました。
僕自身は作家と作品の関係については、TRKさんの意見に賛成です。僕自身がなんとなく感じていたけど言葉にできなかったことを上手にまとめられていて、さすがだなあと感心しました。


Posted by: kyokyom | August 12, 2006 at 12:42

>kyokyomさん
ああ、kyokyomさんにもご迷惑かけちゃったね。
ホント、ごめんね。
ただ、私も正直、何が何やらなんです。
私も、ネット歴はやたら長くトラブルなれしているつもりなので
「ああ、これ以上書くともめる」と思ったら、さっとひくようにはしているのです。
だけど、どうしてああなってしまったのか…
管理者さんも、最初は、特に感情を害することもなく
淡々と返事を書いてくださっていたように思うのですが
ある瞬間から、あの方に引きづられるようにして一緒に怒り出したような
そんな印象です。
>LINさんがSの書くものを否定してしまったこと
ああ、それは絶対、あるでしょうね。
また、あのコメントに限らず、ここ数ヶ月、私はSに否定的で
そのことに関して管理人さんが私に薄々、不信感を感じていらっしゃるなとは
感じてましたから。
私も頭では、あそこでSを批判するようなことを書いてはいけないとわかっていて
だからこそ、何だか遠まわしに文学全般についての質問として書いたのですが
管理人さんは敏感に察知され「それはSの事ですか?」という話に
なっちゃったんだと思います。
まあ、もう、済んだことですし、私はここ自分のブログで、
文学について語り合う友人がたくさんおりますので(ありがたいことです)
いいのです。
心配なのは、kyokyomさんが、kyokyomさんのコメントに対し
投げかけられた管理人さんの辛辣なことばに傷ついていらっしゃらないかということ。
私がいうのも変な話ですが、あまり気になさらないようにね。
もう忘れましょうよ。
私たちは私たちでまた楽しく文学の話をしましょう♪
それにしても作家と作品の関係というのはむずかしい問題ですね。
私もTRKさんがおっしゃる
「作品と作家が100%同じではあり得ない」はとてもよく理解できました。
「すべてが創作であり、そこに作家自身はまったくいない」といわれると
「ん?」なんですよね。
今回は本当にごめんなさい。
正直、私も最後、がーっといわれっぱなしで、ちょっと、しゃくだったんですけど
あえて、あの段階でひくことを選びました。
わかる方はわかってくださるだろうと。
だから、kyokyomさんが私をかばってくださったこと、本当に嬉しいです。
ありがとうございます。
繰り返しますが、くれぐれもkyokyomさんご自身が傷つかれませんように…

Posted by: LIN | August 12, 2006 at 13:37

LINさん、こんにちは。
ふふ、もう遅いです。しっかり傷つきました。どうやったら的確に相手を傷つけ苦しめることができるかを多分、本能的かつ的確に把握していらして、そこらへん、管理人さんは頭がいいなあなんてへんな感心をしましたが(笑
だけど、傷つけられたと被害者ぶるつもりはないです。自分で判断して書いたことですし、その程度の意地はヘタレの僕でももあります。傷ついたといっても、現実生活で受ける傷に比べればなんてことないですよ。ほんとは反論したいけど、その余力がないからなあ。ああ、もっと力強い生命力が欲しー。
しかし、よく僕が傷ついたということを想像することができましたね。さすがです。とにかくLINさんの言葉で救われたのは事実です。ありがとうございました。

Posted by: kyokyom | August 12, 2006 at 22:51

Esquire買った、買った~!
こないだの日曜日、酔った勢いでw
でもまだ読んでないんだぁ。
この週末に、ゆっくりじっくり読もうと思ってたんだけど、
今日はとびきりぐーたらに過ごしてしもた…
明日は朝から規則正しい(?)一日を過ごそうっと☆

…でも今夜3時10分から、宇宙戦艦ヤマトの放送あるんだよね。なんとなく懐かしくて見たいような…
(● ̄▽ ̄●;)ゞぽりぽり

Posted by: ponsuke | August 13, 2006 at 00:42

主人公=作家だけではなく、登場人物のすみずみまでが作家そのものなんじゃないのかなあ、と考えます。だから、「主人公は私ではありません」なんてきっぱり言い切ってしまう作者が書いた小説は読みたくないなあ。「じゃあ、ゴーストライターの方が代筆されたんですか?」って聞きたくなっちゃう(笑)

サラダスピナーは手動のものを愛用してます。それまではきれいな布につつんで庭で振り回して水を切ってました(笑)想像するのも恐ろしい光景、、、。

Posted by: Miwako | August 13, 2006 at 08:45

>kyokyomさん
例の箇条書きを読みなおしました。
相当、アチラも混乱されてますよね。
1~3まではかろうじて箇条書きする意味もあるでしょうけれど
4~11はただ怒っているだけで1~3と同じ箇条書きとして
並列するのはおかしいですよね?
12は私へ向けてのことばかkyokyomさんへ向けてのことばが
もうわからない。
そして13ではとうとう私の問題から離れてKさんの話になってしまっている。
14は彼女の人間性を疑いますね。
その人が一番、つらく思っていることを攻撃の対象にするというのは
最低だと思います。
文学批評の勉強したとかいったって上で説明した程度なんですから
(そもそも、普段から書いていらっしゃる長文も、何がいいたいか
私にはよくわからないけれど…)
彼女の文章を正面から受け止める必要なんてないと思いますよ。
聞き流しましょう。
>ほんとは反論したいけど
でも、これに関しては、いいきっかけだと思いますので
お互い、勉強して、文章力を磨きましょうよ♪

Posted by: LIN | August 13, 2006 at 09:44

>ponちゃん
やっほっほ~
発表会はどうだった?
「とりあえず終わった~」で記事更新してないしっ(笑)
ponちゃんもエスクァイア買ったのねん。
ナカーマ( ・∀・)人(・∀・ )
これ、めちゃくちゃクラシックに詳しいブログ仲間のみなさんがいいといってるので
相当、いいんだと思います。
私はまだ手元に届いてないんだけど、CDが楽しみ~。
>宇宙戦艦ヤマトの放送
そう!やってたよね!
私も録画しようかなと思ってて忘れてもうた!(・∀・;)
ウチのVIDEO(録画がいまだにDVDじゃなくVIDEO!)は
録画が始まる時、かなり大きな音でがちゃんっていうので
深夜の録画はちょっと、ためらってしまう(目がさめちゃう)
というのもひとつの理由(笑)

Posted by: LIN | August 13, 2006 at 09:54

>Miwakoさん
私小説なら私小説でいいと思うのですが
中途半端に、作者に似た登場人物を登場させておいて
「これは私小説ではない」というのはなぜなんだろうなあと
ここのとこ、ずっと疑問に感じているところです。
私もまだ調べ始めたばかりなのですが
私小説というのは日本独特の形式なのだそうですね。
そこから、“いかにも作者に似た登場人物が出てくるにもかかわらず
私小説ではない小説”という変テコな形式が表れたんじゃないかと
考えます。
これについては引き続き、考えていこうと思ってます。
ふと思ったのですが、村上春樹の小説の主人公は、
確かに作者に似ているところはあるのだろうけれど、
あれが春樹自身だとは思わない。
つまり私小説的ではない。
その違いは何なんでしょうか?うーん、わからん。
「主人公に作者を見る」というのは日本的考えらしいのですが
アメリカにいらっしゃるMiwakoさんが、それについて肯定的であるというのは
大変、興味深いです。
>それまではきれいな布につつんで庭で振り回して
でも、その庭が、犬が走りまわるようなアメリカの庭なら
ステキだと思う(うっとり)
狭いマンションのキッチンでぶんぶんやっているのは
ホント、さまにならないです。
昨日もしゃきしゃきレタスサラダを食べました。
しあわせ~

Posted by: LIN | August 13, 2006 at 10:42

ふと思ったのですが…
日本に私小説という文化があるからこそ、作者がわざわざ
「これは私ではない」
と断らねばならないんじゃないでしょうか。
そうとでも言わないと、私小説どころかノンフィクション、エッセイとして読んじゃう読者が出てくるから。
外国文学では、作中の「私」がどんなに作者に似ていてもそれは100%作者ではありえない、という了解が読者の側であらかじめできているのでは。
フローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったような意味において登場人物=作者ではあるかもしれないけれど、書かれていることすべてが実際にあったことだと思いこむのはまた別の話ですよね。
ただの思いつきなので具体例があげられないのが申し訳ないのですが。

Posted by: Mlle C | August 13, 2006 at 19:16

えーっとなんだかよくわかりませんがややこしいことがあったようですね。私は自分のブログのコメントに書いた通りです。Mlle.Cさんがおっしゃるように大学ではそう教えられます。私の通っていた学科は文芸を研究するところではなく書くところだったのですが、やっぱり最初にそう叩き込まれました。自分の経験を基に書こうとすれば誰だってひとつやふたつは書けますが、高校を出たばかりの人間が書こうとしても身辺雑記や恋愛体験を美化したもの程度でしょうし、それを防いでいるのかもしれませんが。

これは文芸に限られたことで、非常におもしろい現象です。ベートーヴェンのピアノソナタを聴くとき「悲愴」や「告別」での重苦しい雰囲気から晩年の30番や31番での達観した境地に変貌を遂げたとき、聴き手は必ずベートーヴェンの人生と照らし合わせ、それによって感動が増幅されます。その上で、作品としてはどうかという評価が始まります。音楽の世界では誰も「ベートーベンの人生なんて置いといて作品だけで判断しろ」なんて言いません。作者を知ることが、より深く作品を理解することにつながるわけです。絵画も彫刻もバレエも「作者の内なるもの」があるからこそ芸術(=人間によって創られたもの)となっていて鑑賞に耐えうるもので、時の流れに色褪せないものになると思います。

Posted by: kota | August 14, 2006 at 04:11

うわすごい連続になっちゃいました。削除しちゃってください。

Posted by: kota | August 14, 2006 at 04:13

小説を読む楽しさのひとつに「虚構の世界に想像力を飛翔させる」ことがありますが、この言葉にも二重の意味があります。私が日本の私小説を読まないのは、作者の過剰な自意識に醜さを感じてしまうからです。そんなの小説じゃないけれど、ねたとして読めば笑える、という感じです。柳美里のようなのも好きではないです。実体験ですごいことをしたもん勝ち、ってことになっちゃいますから。作者が何を考えているか、どう視ているか、どう生きるか、ということが書かれた小説は好きですが、何があったかを主軸に書かれたものは、別に小説という形式でなくても構わないので読みません。

長崎の被爆体験を綴った「小説」に芥川賞を授与するかどうかが議論されたとき、選考会で「この人は被爆ものしか書けず、将来性がないのでは」という否定的意見も出ました。文壇が、どっちつかずなわけです。あと、小説家は実際の自分をキャラにして商品価値を高める習性がありますね。この罠を読み解かないと作品を正しく評価できません。となると、やっぱり作家論は必要になってきます。作品だけで優れているか否かを決めるとするならば、輸入再加工された近代以降の日本の「小説」なんてほとんどがクズってことになっちゃいますよ。

Posted by: kota | August 14, 2006 at 04:17

長く書いてきましたが、私は作者と登場人物の誰かを同一視しません。

私の興味は、あくまでもその作品を読み、技巧や構造、言葉の選び方によって感銘を受けたとき、作者に向かうものです。『死霊』の中の誰が埴谷かと言われると、全員としか言いようがないです。小説の登場人物は、良い人でも悪い人でも当たり前ですが作者のフィルターを通した視線であり、一人称の主人公の場合は「そう見せたい自分」であることが多いです。

小島信夫は一筋縄ではいかないので、この件について答えを出す参考にしないほうがいいと思います。小島の小説内には実在の人物が登場するパーティの描写などもありますが、実際にはそんなパーティ自体が存在しないこともあります。

おしまい。

Posted by: kota | August 14, 2006 at 04:29

>だけどさー、作者も、明らかに作者と思われるような登場人物出してさあ
>「これは作者じゃない」もへったくれもないと思わない?

 その点は同意。
 作者が明らかにそう思わせているのであれば(←ココ重要)、それに乗ってあげるのが読者の礼儀だろうね。

 でも。
 LINさんの場合、リアル方向に乗るのはOKだけどフィクション方向に乗るのはイヤだ。ってのはちょっと僕には理解できないんだよなぁ。
 (;^_^A
 そういう理屈を言うのなら、作者がそう提示しているかぎりどっちに向かっていても素直に乗って楽しんであげるべきなんじゃない? そういう理屈を言っておきながら、かたっぽだけならOKって条件をつけるのは…… なんとなくフェアじゃないような気がするなぁ。

 ふと思った。
 たとえば、ものすごく素晴らしい作品を書いている作家さんがいるとするね。LINさんがホレちゃうくらいの。
 で、その作家さんの私生活を知ると、とてもじゃないけれど人間の風上にも置けないようなクズ野郎だった。

 ……こういう場合。LINさん的にはどうでしょう?

 しいて名前は挙げないけれど、音楽の世界でもそういう人っているよね。そういう作者だとわかったら、「すばらしい」と評価した作品も、さかのぼって否定しちゃうのでしょうか。

「作家さんを知って作品が好きになる」という理屈には、そういう意味も隠れているよ?

 もちろん「キライになる」って選択肢もありだと思うし、まちがいじゃないと思うよ。でも、「大切なのは作品性じゃなくて人間性だ」なんて言われたら、ちょっと作家さんがかわいそう。
 少なくとも僕だったら傷付くな。
 絵だろうと文章だろうと音楽だろうと、どんなに才能を示しても「お前は人間のクズだからダメ。認めない」と言われているような気になるもんなぁ。

Posted by: ろぷ | August 14, 2006 at 09:04

>Mlle.Cさん
>日本に私小説という文化があるからこそ…
まったく同感です。
>外国文学では…
私は文学に詳しくないのですが、
外国文学で“I was ~”で始まる小説というのはあるのでしょうか?
“Mr.Smith was~”というように
固有名詞で始まる小説が多いような気がします。
それって「作者=私」と思うかどうかに大きな影響を与えないでしょうか?
ところで、私が今、考えていることは
大塚英志の『更新期の文学』に書いてあったことに影響されていると
昨日、気づきました。
大塚氏は
「“私”が“私”であることを立証する文章が特権的な“文学”になる
という図式が崩れつつある」
と書いています。
その理由のひとつとして、誰もが“私”を表現することができる
ネットの登場をあげています。
そして
「“私”の立証から解放された小説はどこへ向かうのか?」
とも書いています。
これについては私も同感なのです。
しかし作者が「主人公は“私”ではない」というのなら
そもそも文学とは何なんだ?ただのオハナシなのか?
と私の頭は混乱してしまったのです。

Posted by: LIN | August 14, 2006 at 09:26

>kotaさん
>ややこしいことがあった
kotaさんにまでご心配いただき恐縮です(・∀・;)

kotaさんが書いてくださったこと、大変、わかりやすく、また納得です。
>実際の自分をキャラにして商品価値を高める習性がありますね。この罠
罠なんですね!
なんでまたそんなまぎわらしいことを…
私は、作家と主人公を混同されたくなかったら、
明らかに自分と似たような主人公を登場させなきゃいいんじゃないかと
思うのです。
そして主語を「私は~」でなく
「鈴木は~」とか「田中は~」にすりゃいいじゃんと。
結局、私が、こんなことをついごちゃごちゃ書いてしまうのは
最近の日本の小説に幻滅しているからかもしれません。
日本の文学はこのままで大丈夫なのかなあと
余計な心配までしてしまいます。
作品そのものにシンプルに感動できれば、それでいいのですが
作品そのものが今ひとつ「ん?」と思うものだから
作家のことまで気になってくるのかもしれません。
作品が圧倒的に感動させる作品であれば
作家のことなぞ、考えもしないのかもしれないですね。
>小島信夫は一筋縄ではいかない
そうなのですか!
『残光』はおもしろかったです。
誤読しているかもしれませんが…
『菅野満子の手紙』が読みたくなりました。

Posted by: LIN | August 14, 2006 at 10:17

>ろぷさん
>リアル方向に乗るのはOKだけどフィクション方向に乗るのはイヤ
うーん、意味がよくわからいので取り違えているかもしれないけど
フィクション方向でもうまく騙してくれたらOKよん。
でも、フィクションだと騙されにくいというのはある。
「さあ、これからフィクションが始まりますよー」みたいなのには
のれない…

>素直に乗って楽しんであげるべき
これも意味を取り違えているかもしれないけど
乗って楽しめるかどうかは作家次第だよね
読者があえて楽しんであげる“べき”だとは思わないかなあ。

>クズ野郎だった。
その人がクズ野郎を主人公にした小説を書いたら納得でしょうけど
天使のような主人公だったら、やっぱり嘘臭いと思うでしょうね。

>作品性じゃなくて人間性だ
もちろん作品ありきですけど、
深みのある作品は、やはり作家自身にも深みがあると思いますよ。
人間として未熟な人には、やはり作品にもその未熟さが出るのでは
ないでしょうか?
恩田陸の小説、つまんねーなーと思うのは
(人気ありますけどね)
ストーリーは確かにうまいと思いますけど
その根底に、哲学的なものがないというか、深みが感じられんのですよ。
また、年齢が全てではないですけれど、
私は20代の作家の作品なら、50代以上の作家の作品を読みたい
という傾向があります。
気づかされることが多いんです、年配の作家の作品は。
20代、30代の作家の作品は
「わっかいなー、君」って感じで、青臭くて
そのくせ、作家としての変な力みがあるから
上から物をいうんですよね。

>お前は人間のクズだから
アル中で、博打好きで、一見、人間のクズに見えるようでも
人生を深く考えている人はいますから、それは全然、アリでしょう。
まっとうな生活をしているまともな人でも
人生について深く考えていない人は作家としてダメだと
思うなあ。

Posted by: LIN | August 14, 2006 at 10:49

 ちょっと伝わりにくかったですね。
 ええっと。
 明らかに作者と思われる作り方をした作品がある。で、これを「ふむふむ。これは作者だな」という読み方は、アリだと思うよ。明らかに宇宙に見えるSFを「ふむふむ。これは宇宙だな」と読むのと同じだからね。
 極論を言えば、文学なんてほぼすべて「こう見える」のカタマリだもんね。リアルだろうがフィクションだろうが。文字になった時点で「こう見える」としか言えないモノだもん。

 でもさ。
 ごくフツーの作品をつかまえて「ココは作者が10代のときに両親が離婚したことを反映している」とか「作者は子供が三人いる。だからこの作風になった」とかいうことになっちゃうと疑問なんだよ。
「そんなの、私生活なんだからほっといてやれよ。それよか作品をちゃんと読んでやれよ」と思うの。
 LINさんもそんなふうには思わないかな?

 で、ココからは僕の偏見なんだけれど、
 そういう読み方(とすら言えない解説モドキ)をする人に限って「作者」を一番に考えて、作者のその周辺を探偵のように調べまわったりするんだよ。で、両親と死別したとかいう事実をつかまえては、「ゆえにこの作者は人生経験が豊富である」とか言っちゃうの。

 そういうことって僕は明らかに間違っていると思うんだ。ハッキリ言ってプライバシーの侵害だと思う。
 だからこそ作者の身元なんか詮索せずに「作品を読む」ということを強調したいんだ。
 おそらく前記の方々の「作品を尊重する」という姿勢は、そういう所から来ているんじゃないかな? と僕は考えます。
(違ったらゴメンネ>前記の方々)


>私は20代の作家の作品なら、50代以上の作家の作品を読みたい
>という傾向があります。

 ってぇことは。
 ものすごく感動できたけれど、あとで知ったらあの作家は20代だった。って場合はどうなるんだろう?
 作品を読んだ感動はチャラになるの?
 それとも「20代でこれだけ書けるからすごい」という、初期の三島みたいな評価になるの?
 文学って年齢別の階級があるの?
「年齢がすべてではない」とおっしゃるなら、それを物差しにするのはやめてあげようよ。


 んまぁ、どっちの意見になっても僕はイヤだけどね。
 僕は、実生活で「お前は年齢の割に○○だ」なんて評価されたら、たとえ褒め言葉でも鳥肌が立っちゃうくらい気持ち悪く感じてしまうな。だから自分がイヤなことは相手にやらない。
 これが僕の意見。


 ひとそれぞれ。いろいろな見方があるね。

Posted by: ろぷ | August 14, 2006 at 12:24

>ろぷさん
>ココは作者が10代のときに両親が離婚したことを反映している
あー、そこまではしないかな。
そもそも、そこまで読む解くほどの読解力がない(笑)
作者の経歴から作品を読みとくのではなく
逆に、作品から作者を想像てしまうんですね、私の場合。
>私生活なんだからほっといてやれよ
もちろん。
私は高村薫のファンなわけだけど、
高村薫のムック本で、お家の様子がちょっと拝見できたり、
本棚が見られたりすると確かに嬉しいですけど
やはり、基本は高村さんの文章や考えに触れたいというのが一番。

考えたのですが、作家は、「私は~」「僕は~」という一人称を使う場合、
よほど注意深く書かないと、「主人公=作者」だと思われる危険性があるということを
自覚すべきでしょうね。
あえてなぜ「私は~」を使うかってことですよね。
でも、全部がそうじゃなくて、村上春樹は「僕は~」って書いているけど
彼の作品の主人公が村上春樹だとは私は全然、思わないのです。
そういう作品もあるけれど、「これ、作者自身じゃないのか~?」
って疑いたくなる作品もあるってことです。

年齢はあくまでもそういう傾向があるってことです。
もちろん20代でもすばらしい作品を書く作家もいるでしょう。
でも、今のところ、私は、感動した作品ってないんです。
最大の原因は若い人の作品を読むには、私が年を取りすぎたのじゃ~(笑)
若い時に読めば、きっと共感できたと思う。

今、思いついたのですが、わざわざ、作者の経歴を調べたりはしないけれど
その作家がエッセイの類を書いていたりすると、小説と重ねてしまうというのはありますね。
最近は、どの作家も気軽にあちこちにエッセイを書いていますが
昔の作家はどうだったんだろうか?

遠まわしに書いてきましたが、今、私がぐだぐだ考えているのは
笙野頼子という作家のことなのです。
(読んだことある?)
彼女は過去に文学論争をやったことがあり、自分でもその顛末を
『徹底抗戦!文士の森』という本にまとめています。
で、その文学論争のことが小説にも登場するわけです。
だから私は「主人公=笙野頼子」と思ってしまうわけですが
「そうではないんだ」とよそのブログでいわれて、
「え?そうなの?どうして?」と思っているという状況です。

Posted by: LIN | August 14, 2006 at 14:41

一人称と三人称では違いますからね・・。海外文学でも「語り手」は存在しますし、三人称で書かれていても心理描写はあります。私が好きなセリーヌの小説内の主人公は、主にセリーヌの性格を極度にデフォルメしたものです。自分が思っている以上に危険思想をぶちまけています。文体もどんどん破壊されていきます。しかし、危険なことを言えば言うほど、文体が破壊されればされるほど、セリーヌの意図とは裏腹に、セリーヌという人間の純粋さが際立ってきます。そして、セリーヌの書いたエッセイも、現在では事実とは異なり、実際以上に貧困さを強調したものだということが判っています。そこから何を読み取るのかは、読み手の立場や意識次第だと思います。

現在進行形で20代の優れた小説家を読むことは不可能に近いと思います。大衆性があり、言ってしまえば俗物であればあるほど、売れる(=商業的価値がある)わけですから。また、プロとしてやっていくなら、新聞連載で文字数をきっちり合わせたり、毎月30枚きっちりと連載できたり、3か月後に400枚の長編を仕上げるといった、創造性や才能とはまた別の能力が必要になってきます。そして、こればかりはどうすることもできないのですが、時代が進めば進むほど、難解なものは敬遠されます。テレビ番組、音楽、ぜんぶそうです。過去のものを読んでみてはいかがでしょうかね。20代で恐るべき作品をものした人は、たくさんいますよ。

Posted by: kota | August 14, 2006 at 20:15

つづき。(続いてないけど

>作品が圧倒的に感動させる作品であれば
>作家のことなぞ、考えもしないのかもしれないですね。

私は逆です。感動したなら、その作者の著作はぜんぶ読みたくなりますし、自伝や評伝も読みたくなります。まんまと商法に乗っかるわけです。いろいろな人が書いた批評や評論を読み、徐々に自分の中でその作者像が形成されていきます。過去の人なら、生家や墓にも行きたくなりますし、原稿を観たくなります。反対に、読了したらすぐ壁に投げつけたくなるようなものを読んだら、そんなものを書いた作者のことなど一瞬たりとも考えません。無駄ですから。江國香織の小説の主人公はたいてい現在の夫婦生活に満足していないし不倫してそうなのですが、江國香織がラ・ペルラの下着を着ているのかとか実生活がどうなのかなんて、どうでもいいです。

ところで、以前どこかに書いた気がするんですが、初めて高村薫を読んだとき、作者を絶対男だと思いました。で、著者近影を観ても、男に見えました。(失礼!

Posted by: kota | August 14, 2006 at 20:17

おお、ここではこの話題も凄く広がるなあ。
Mlle Cさんの学生時代の→
「作品は描かれてることが全てじゃゴルァ!」(←亀田パパの口調でお読み下さい)
が、すっげえ面白くて笑いましたが、これなんとなくわかります。
ちょっと話はずれてしまうんですけど、経済活動って人間の行う行為の集積ですよね。でもこれが学問(経済学)になってしまうと、数量化や相対化可能なものだけを抽出してなんらかの法則を見出していく。基本的に人間は無視。だって曖昧すぎて予測不能だから。
で、文学研究でテクスト命ってのも似ていて、作家(人間)という不確定要素を排除しないと、学問にならないんじゃないかなあ。
だから「研究」と「読書」ってちょっと違うものなのかな。と、今ふと思いつきで書いてみました。
それにしてもここに来られる皆さん凄いよな。と、ちょっとびびりつつコメント。

Posted by: kyokyom | August 14, 2006 at 20:56

おおうコメントがすごい数に。
でももっと増やしちゃう。

『更新期の文学』読んでないので大塚さんの説についてはなんとも言えないのですが…

>外国文学で“I was ~”で始まる小説というのはあるのでしょうか?

『失われた時を求めて』とか。
(単にいま読んでるから真っ先に思いついただけ・笑)
あの「私」にもプルースト本人の人生や思想がかなり投影されていますが、あれをプルの伝記と思って読む人はいないですよね。
LINさんがおっしゃる「村上春樹の作品の主人公が村上春樹だとは全然思わない」と同じだと思う。
でもLINさんが作者と主人公を同一視してしまったという『金毘羅』(ですよね?)、私は笙野頼子本人のことだと思っては読まなかったんです。
作中の「私」と作者を切り離して考えること、なぜLINさんは村上春樹だとできて笙野頼子だとできなかったのか――
そのへん突き詰めると答えが出て来るのかもしれません…。

私は作品を読んで作者に興味が湧く場合と、あまり湧かない場合と二通りあります。
前者の場合はそれこそ生家を訪ねるは、墓の前で故人にブツブツ話しかけるはと(←故人、絶対引いてる!)えらい騒ぎになるわけですが、なぜか作品だけで満足しちゃうこともあるんですよね。
具体的には坂口安吾と石川淳。
五指に入るほど好きな作家なのに、その生涯についてはごく基本的なことしか知らないし自伝も読んだことがないです。
自分でもどうしてそうなるのか不思議。

ちなみに某所でのLINさんの「私小説だとバカにされるのでしょうか」という問いですが、私は「バカにする人もいる」と思います。
外国文学好きな人に多いですね。
日本の私小説はスケール小さくて俺が俺がってそればっかで詰まらないという意見。
私は日本のジメジメせせこましい私小説も好きなので(笑)楽しんで読んでしまいますけど。
(あ、でも現代の私小説だと微妙だなあ…。柳●里なんかははっきり言って嫌いですし)

Posted by: Mlle C | August 14, 2006 at 21:03

ついしん。

LINさんは水村美苗さんの「本格小説」読まれましたか?
私小説論に興味があるなら、一度目を通されると面白いかもしれませぬ。
私小説の手法を意識的に利用して書かれた「本格小説」なので。
小説としても面白いですよ~。

と、書いてる間にkyokyomさんのコメントが。
亀田パパ受けてくれてありがとうございます。
どさくさに紛れて書いちゃいますが、
「発言を否定しても相手の人格を否定することはまかりならぬ」
深く深く同意いたします。直接関係ないくせに悶々としていたので、kyokyomさんのコメント嬉しかったです。

Posted by: Mlle C | August 14, 2006 at 21:08

>Mlle Cさん
僕はMlle Cさんのブログに遊びにいってよく爆笑しています。そのユーモアのセンス、見事な落としっぷりが楽しくて仕方ありません。
そしてそして・・・ありがとうございます。LINさんのお言葉同様心が温まりました。多分、僕の方が嬉しいはずです(笑)

>LINさん
やはり少し落ち込んでいたのですが、なんだか浮上できましたよー。

Posted by: kyokyom | August 14, 2006 at 21:53

こんばんは。
手持ちの本を何冊か読んでみましたが、やはり日本の近代以後の小説は
私小説が多いように感じます。
ただし、「私小説もどき」になってしまっていて、どことなく中途半端なものが
目立つと感じるのは、私だけでしょうか。
私個人が好きな私小説は、島尾敏雄と後藤明生です。とくに、島尾の『死の棘』は、
すべての私小説の中でも名作だと思います。冷酷なまでに自らを解剖し見つめつくした作品は、
ほかにはちょっと見当たりません。
反対に、作者が作品とまったく隔絶して、作品そのものを冷徹に観察しているケースは、
小説ではちょっと思いつかないのですが、白土三平のマンガでは見事に具体化されていると思います。

Posted by: 多摩のいずみ | August 15, 2006 at 04:00

 ちょっとだけ汚い言葉を許してね。

 なんでそんなつまんねー作品にかかわりあってんの?
 僕は疑問が浮かぶ余地すら見出せないよ。あ、釣りね。ゴクローさま。売れるといいね。という評価しかできない。
 あれは書物じゃなくて商品だよ。商品に文学的価値を考えても不毛じゃん。

 汚い言葉ココまで。

 こほん。ほかの話題。
 えっと、書く人間で一人称の危険性に気が付いてない人間なんていませんよ(笑)。いたらソイツはシロートです。まちがいなくね。
 でも読者の中には気が付いていない人の方が多かったりする。んま、一般的には気が付く必要もないんだけれどもね。こういう知識は書く方法論の中の特殊な知識だから。
 しかし、
 この作者と読者の意識のギャップが、トンチンカンな読書法の温床になってるのかもね。とか思ったりもします。

 あと。
 上記 kota さんもおっしゃられていますが、僕も少し古い作品を読むことをおすすめします。

>もちろん20代でもすばらしい作品を書く作家もいるでしょう。
>でも、今のところ、私は、感動した作品ってないんです。

 ↑古い作品をじっくり読んでいけば、この意見は絶対にくつがえると思うな。
 「今」をどんどん消費している現在商業主義にわざわざ付き合う必要はないんだからさ。もっとゆっくり過去のを読もうよ。

Posted by: ろぷ | August 15, 2006 at 06:22

>kotaさん
セリーヌ、読んでみたいのですが
私ごときに理解できるのか不安で
手をつけられずにおります…(;´Д`)
>何を読み取るのかは、読み手の立場や意識次第
私もそのように思います。
ただ、今回のコメントを拝見しているうちに
kotaさんや、Mlle.Cさんのように、専門的な勉強をされた方は
同じ本を読んでも、私よりもっともっと奥行きのある読書の世界が
広がっていらっしゃるのだなあと思いました。
うらやましいです。
>20代の優れた小説家を読むことは不可能
現代の出版の状況は、小説家にとって
不幸な環境だなあと思います。
>難解なものは敬遠
私なぞ、別に大した読み手ではないわけですが
それでも、最近の安易な小説には「ん?」と首をかしげざるを
得ないのです。
しかし、ネットを見ていると、本好きの方々というのは
ストーリーについての話でもりあがっていることが多く、
そもそも、小説をストーリーで語ること自体がどうなんでしょうか?
>過去のものを読んでみてはいかが
是非、そうしたいと思います。
>感動したなら、その作者の著作はぜんぶ読みたくなります
それは私もあります。
Mlle.Cさんが↓のコメントで書いてくださってますが
感動しても、興味が湧く場合と湧かない場合があるのかもしれません。
>江國香織がラ・ペルラの下着を着ているのかとか…
ぷぷ(笑)
でも、江國香織って女性に人気ありますよねー。
高村薫が男だって思っていた人は多いみたいです。
私は何だかやたらくねくねしている○上弘美なんかよりも
断然、美人だと思います(笑)

Posted by: LIN | August 15, 2006 at 10:01

>kyokyomさん
>ここに来られる皆さん凄いよな
そうなんですよー。
同人誌を出している方もいるし、プロとして書いている方もいるし
みんな、すごいの。
>作家(人間)という不確定要素を排除しないと、学問にならない
なるほど!
そうかもしれないですね。
確かにすべての要素を分析し出したら
あまりに煩雑になってしまいますものね。
でも、そうだとすると、実際の読書とかけ離れてしまう
学問というものはむなしいものですね。
もしかすると、例のあの方は勉強がおやりになりたいのかもね。
そうすると、好きで本を読んでいるだけの私とは
論点がずれてくるのかもしれません。

>やはり少し落ち込んでいた
やっぱりそうだったか~。
ホント、ごめんね。
今回の件、両方、見てくださっていた方がいて
応援メールも何通かいただいてます。
そういうわけで、元気出してくださいね。

Posted by: LIN | August 15, 2006 at 10:15

>Mlle.Cさん
>『失われた時を求めて』とか。
ああっ、ホントだ!
(一巻で挫折したままで、ホント、申し訳ないです(;´Д`)
>伝記と思って読む人はいない
時代も関係あるでしょうか?
時代背景が昔だと錯覚しないけれど
現代の話だと錯覚しやすいというような。
>『金毘羅』(ですよね?
『金毘羅』は空を飛んだりするので、それほどでもないのですが
『S倉迷妄通信』とか『片付けない作家と西の天狗』とかですかね。
「え?これエッセイじゃないの?」って思うくらい。
>村上春樹だとできて笙野頼子だとできなかったのか
本当ですね。
そのあたりを考えると、答えが出てきそうです。
Mlle.Cさん、的確なアドバイス、ありがとー♪
今、ひらめいたのですが、笙野が書く主人公の私生活が
あまりに生々しいというのはありますね。
>坂口安吾と石川淳。どうしてそうなるのか不思議。
いい男じゃないからとか?(笑)
>私は「バカにする人もいる」と思います。
ありがとうございます。
私も、どこかでそんな文章を読んだ気がするのです。
何で読んだか思い出せなかったので引用できませんでしたが。
>現代の私小説
現代は、作家よりも、一般の人々の方がスゴイ人生を生きていたりして
むしろ作家は平凡だったりするから、
私小説が成り立たないのではないでしょうか?
>水村美苗さんの「本格小説」
オススメありがとうございます。
気になってるんですよー。
『私小説』『高台にある家』もあわせて是非、読んでみたいです。

Posted by: LIN | August 15, 2006 at 10:39

>多摩のいずみさん
>日本の近代以後の小説は私小説が多いように感じます。
やはり!
>「私小説もどき」
そうなんです。
私もそれが腹がたつのです。
自分の生活を全てさらけだし「これが私だ」と書くのなら
潔いと思うのですが
中途半端に「私もどき」を登場させて
「作者と主人公はイクォールではありません」なんて
何だか腑に落ちないのです。
>島尾の『死の棘』
気になる作品ではあるのですが
なかなか壮絶な作品のようで、怖ろしくて
手が出せずにいます(;´Д`)
後藤明生は知りませんでした。
ネットに書いてあったのですが
「文学における『笑いの方法』に執着した後藤明生」
なのですか?
だとしたら、大変、興味があります。
>白土三平のマンガ
私は読んだことがないのですが
『白土三平論』なんて本があるほど
すごいマンガ家さんなのですね!

Posted by: LIN | August 15, 2006 at 11:40

>ろぷさん
>なんでそんなつまんねー作品にかかわりあってんの?
あれ?これって『徹底抗戦!文士の森』のこと?
ろぷさん、熱烈な笙野ファンに袋叩きにされるよー(笑)
私も、最初は、興味深く、読んでたんですけど
笙野は、大塚氏の「文芸誌の売上云々」のところばかりに
こだわって、肝心の文学の本質にはせまっていないように思うのです。
大塚氏の『物語の体操』にはちょっと反発、感じたんですけど
『更新期の文学』はなるほどなあって思いました。
>読者の中には気が付いていない人の方が多かったりする
そうそう。
現に私も、つい最近、気がついたばかりだし(・∀・;)
>作者と読者の意識のギャップ
だから読者も、ただ漠然と読むのではなく
文学論の勉強はすべきかもね。
より深い読書体験をするためにも。
ところで、大塚氏が
「“私”が“私”であることを立証する文章が特権的な“文学”になる
という図式が崩れつつある」
と書いていて
その理由のひとつとして、誰もが“私”を表現することができる
ネットの登場をあげているんですが
そのあたりをろぷさんなんかはどう感じるだろうと、気になります。
>少し古い作品を読むことをおすすめします
アドバイスありがとー。
そうしたいと思います。
考えてみたら、私はボリス・ヴィアンの『日々の泡』が好きなんだけど
あれはボリスが27才の時の作品だ!
だから、結局、最近の若い作家はダメだってことを
いいたかったんだと思う、私。

Posted by: LIN | August 15, 2006 at 12:10

 クドいからもうそろそろ書くのやめようと思ってたんだけれども。お答えするとまたクドくなっちゃいそうですが……
 (;^_^A

>○○は、大塚氏の「文芸誌の売上云々」のところばかりに
>こだわって、肝心の文学の本質にはせまっていないように思うのです。

 ごめんなさい。
 引用文に手を加えるのはタブーだけれど、僕の文章は伏字にさせてね。
 さて。
 まさしくソコが僕も同感ッス。
 過去から延々繰り返されてきた文学論争をそのままなぞるだけならまだしも、それ以下でしょ。小さい。で、その小さいものに、あろうことか「文学論争」というデッカイ衣を被せて大々的にマーケティング展開しているようにも見える。
 「○○さんと△△さんが論争してるよ」と広告すれば両者のファンは即チェックするからね。なんだかそういうファン心理をくいものにするショーアップされた試合にも見えるな。すくなくとも真面目に文学論争をしたいんだとは僕には見えない。んま、途中まではちゃんと論争してたのかもしれないけれどもね。今は違うと思う。
 だから僕には「商品」に見えるの。
 これじゃ劇場化した某マットスポーツと同じだよ。そのうち「電流爆破デスマッチ」とかはじめちゃうんじゃない?w

 もちろんそういう書き方もありだよ。
 だから○○さんの人間性をどうこう言うつもりはないよ。
 ただ、うまい商売のしかただな、と。


>ネットの登場をあげているんですが
>そのあたりをろぷさんなんかはどう感じるだろうと、気になります。

 これは……真面目に書くとひとつの「論」なっちゃいそうです。
 誤読覚悟で手短にザックリ書くね。誤読覚悟なんで以下の意見はサポート無しと思ってください。取扱は自己責任で(笑)。

 まず大塚さんの説は僕も同意します。それが最大の原因だと思います。あと携帯メールも原因かな。
 理由は、みんながあまりにも手軽に「私は~」の文章を書けるようになった環境のせいでしょうね。
 プロはね。ほんのちょっと書くだけでも膨大な時間を費やしてるんだ。しかもそれだけじゃなくて書きあがったあとも校正や適正な表現になっているか(差別用語とかね)のチェックなどを大勢の人間がよってたかってたくさんの工程を通して世の中に発表してるの。世の中に発表するというのはそれくらいシリアスなことなのよ。
 それがプロの文章なのね。

 だけどそれと"同じように見える文章"が、素人でもモノの5分もあればブログにアップして世界中に公開できちゃうでしょ? ものすっごく手軽にね。
 素人の文章とプロの作品ってよく見れば絶対的に違うものなんだけれど……素人目には、やっぱ同じように見えちゃうわけなんだよね。
 そうなると多くの人々は「なんだ『私は~』の文章って5分もあれば充分じゃん。簡単じゃん」となる。そうなると「プロの文章ってたいしたことねーなー」となる。
 結果、
「『私小説』とかってエラソーに言ってさ。アタシだってネットで書いてるよ」という心理になるんじゃないかな。ってのが僕の意見です。

 ちょうどテレビ放送開始当時のテレビ局の権威が、ホームビデオの登場で地に落ちたみたいなもんかな。いや、ネットの利便性を考えるとコッチのほうがもっとヒドイかもしれない。


 以上、駆け足でちょっと断定的に書いてみました。断定的なぶん、僕の言いたいことと少しズレてます。あと、LINさんが挙げている大塚さんの原文も僕は知りません。だから「こんなふうにろぷが言ってたよ」とかどこかで引用したりしないでね。僕は困っちゃうから。っていうか引用されても僕はサポートしませんから。

 いずれきちんとした論には…… ダルイのでまとめません(笑)。

Posted by: ろぷ | August 15, 2006 at 18:44

>ろぷさん
>ショーアップされた試合にも見えるな。
ってことは考えもしなかったです。
確かに、編集者が「これは商売になるぞ」って
仕掛けさせたって感もありますね。
>真面目に文学論争をしたいんだとは僕には見えない
でも、本人は大マジメなんだと思うよ。
特に作家Sは。
多分、ひとつのことが気になっちゃうと、
そこしか見えなくなっちゃうタイプなのではないでしょうか?
>素人の文章とプロの作品ってよく見れば絶対的に違う
私もそう思います。
ただ、読者として、読み比べたら、その差は歴然とわかるんだけど
そうじゃなくてね、ブログは読者が、作者も兼ねるでしょう?
今までは、自分の中に悶々としたものがあっても
それを表現する手段がなかった。
それで、小説を読み、主人公に共感することで
気持ちをおさめてきたんだと思う。
(気持ちをおさめるの“おさめる”ってどの漢字を使うんだろう!?)
でも、こうやってブログで書くことができるようになった。
「書くって気持ちいい~」ってことに気づいてしまった。
そうすると、ヘタな小説を読むんだったら、
自分で書いている方がいいやってことなんじゃないかなあ?

Posted by: LIN | August 16, 2006 at 08:53

>そうすると、ヘタな小説を読むんだったら、
>自分で書いている方がいいやってことなんじゃないかなあ?

 そだね。その意見にも賛成。
 でも表現する手段は昔からあったけれどもね。作家を目指せばいいんだよ。
 しかし現在では、がんばって作家を目指さなくてもネットで手軽に公式発表できちゃうようになった。だからみんなが「私が」「俺が」と忙しく発言するようになった。すると今度は発言が忙しすぎて、結局だれも他人の意見なんて見ないようになっちゃったんだよね。っていうか書くのに忙しくて気にする時間すらない。
 自分は発言したいけれど相手の意見は見ない。
 これ。
 僕には面白いパラドックスに感じるなぁ(笑)。
 いや本末転倒かな。またはいきり立ったイナゴの群か。

 小説どころか、ネット仲間のサイトだって新着以外はまったくチェックしません。ってヒト、多いじゃない? そんな人々に小説が入っていく余地なんてないよね。きっと。
 だからさ。
 そういう人々は、「ヘタな小説」ところか、「名作」でも読まないんじゃないかな。だって友達の文章すら読む時間がない人々なんだからさ。ムリムリ。


>気持ちをおさめるの“おさめる”ってどの漢字を使うんだろう!?

 心を平安にするのなら「治める」が一番近いかな。そこからなにかをまなんで勉強するのなら「修める」だと思う。
 んでも、文脈からみると「おさめる」とひらがなで書くか、または「なぐさめる」とか「納得させる」って感じの別のことばを使ってみると、悩まなくてもよさそうだね。
 (⌒-⌒)

Posted by: ろぷ | August 16, 2006 at 10:00

>ろぷさん
>自分は発言したいけれど相手の意見は見ない。
そういう人、多いのかもねえ。
それがひいては、「自分さえよければいい」という考えにつながるということは
ないでしょうか?
でも、私は、ブログをやるようになって、「世の中にはいろんな意見があるのだなあ」
って思うようになりました。
日常の会話は、社交辞令まじりの表面的な話だったり、
飲みながら真剣に語り合っても翌朝には忘れてしまったり(!)しますが
ブログはじっくり読めるので、考えさせられることが多いです。
>小説が入っていく余地なんてない
でも小説にしかできないことがあるはずなんだよね。
だけどほとんどの作家がそこのところを真剣に考えずに
売れるストーリーを書いてしまっているような気がするなあ。
それはそうだよね。
食べていかなくてはいけないのだから。
そこがやはりカフカやトルストイの時代とは違うのでしょうね。
でも、このまま、小説が、消費社会の歯車に巻き込まれていくのは
何とも気持ちが悪くて、こうしてネットでぐだぐだ駄文を書き連ねる
私でありました。
「おさめる」ですけれど、
「胸におさめる」が「収める・納める」を使っているので
「気持ちをおさめる」もこれかもしれない。
こういうのは何辞典を持っていればわかるんだろ!?

Posted by: LIN | August 17, 2006 at 09:07

>こういうのは何辞典を持っていればわかるんだろ!?

 大きめの類語辞典を漁れば載ってると思うよ。んでも書く用事以外で読んでもつまんないけどさ。
 それよか日々の読書と日本語の勉強プラス経験で判断しなきゃね。

 ちなみに。
 「胸に納める」の場合はそうだよ。中に入れる行為からね。「納」や「収」で正解。両者は厳密には違うけれどもね。一応は正解。
 でもLINさんのいう心の場合は、物理的に中に入れることじゃなくて平安を取り戻したり静めたりすることでしょ? 微妙に意味が違うよん。
 日本語ってむつかしいね。

Posted by: ろぷ | August 17, 2006 at 16:27

>ろぷさん
おー、そうか、類語辞典ね。
でも、類語辞典って高そう(・∀・;)
>微妙に意味が違うよん。
うへー、わけわかんなくなってきた。
これでも、小学生の頃は漢字王で通っていたんだが(笑)

Posted by: LIN | August 17, 2006 at 17:54

> 笙野頼子の作品の場合も、やはり美人を思い浮かべるのですか?
いや、思い浮かべるのはつねに冷凍マグロです。
『金毘羅』においても、冷凍マグロがびゅんびゅん空をおよいでいく。
そして村上春樹のときは小谷野敦を思い浮かべるようにしています。ニヤニヤ

Posted by: Rym | August 18, 2006 at 12:54

>Rymさん
>冷凍マグロ
えーっ!人間じゃないし、すでに生きてないしっ(笑)
>小谷野敦
文芸評論家ですよね。
笙野さんの論争本の表紙に名前が書いてありました。
今、写真を検索してみたんですが、村上春樹をもっと意地悪にした感じ?
いや、村上春樹本人も相当、意地悪そうだけれど…(笑)

Posted by: LIN | August 19, 2006 at 09:44

小谷野敦はねえ、村上春樹をボロクソに貶してくれるひとです。笑
『反=文芸評論』とかで『ノルウェーの森』は“いんちきポルノ”であるとして「巷間あたかも春樹作品の主題あるように言われている「喪失」だの「孤独」だの、そんなことはどうでもいいのだ。私が春樹を容認できない理由は、たった一つ。美人ばかり、あるいは主人公好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と「寝て」くれて、かつ二十代の間に「何人かの女の子と寝た」なぞというやつに、どうして感情移入できるか、という、これに尽きるのである」とかいってます。意地悪すぎ。ギザカッコヨスw

Posted by: Rym | August 19, 2006 at 12:41

>Rymさん
>村上春樹をボロクソに貶してくれるひと
そうなんだ!
大塚英志も『村上春樹論―サブカルチャーと倫理』を先月、出しましたよね。
ああ、これ、MURAKAMI Haruki STUDY BOOKSというシリーズなんだ~。
みんな、そんなに村上春樹のことが気になるのか?(笑)
美人ばかりが簡単に主人公と寝るという意味では
片岡義男もそうですが、何か?(笑)
例のアレ、拝見しました。
sketchというアイデア、いいですね。
文章がひらめいた時に書くという感じ?
私もぱくってやってみました。
sketchじゃまんまなので、esquisseにしました。
あそこはデザインが洗練されていないので、
今まで使う気にならなかったのですが、
あのデザインならいいなあ。
CSSいじってるんでしたっけ?

Posted by: LIN | August 20, 2006 at 09:35

村上春樹と片岡義男は似てると思いますよ。女と寝るとこだけじゃなくて、全体的な出力結果がわりと似ている。共通点はなんだろ。アメリカ?
わたしはとにかくすぐ忘れるので、そのときどきで立ち止まって、できるだけ素描を残しておこう、というくらいの気持ちです。エスキスは建築で初期設計のラフな図面・見取り図として使われることばで、なじみがあったはずなんですが、すっかり忘れてました。そのほうがスケッチより適してるかも、と思ったり。あるいはデッサンでもいいですね。
デザインはほぼデフォルトで、CSSは全体のレイアウトにすこし手をいれた程度です。ほかにもシンプルなやつがいくつかあるようですよ。

Posted by: Rym | August 21, 2006 at 14:09

>Rymさん
>村上春樹と片岡義男は似てる
だというのに、片岡義男は文壇から気にもとめられていない…(笑)
高橋源一郎は「片岡義男ってすごいんだぜー」っていってるけど。
>エスキス
昔、いた会社でこういう名前の小冊子を作っていたものですから。
そうかー、建築用語でもあるのね。
そういえば、Rymさん、CADにお詳しかったですよね。
この間、ちらっと記事に書いたゲーム、シムピープル(もしくはシムズ)ですが
あれもお遊びですけど、好きなように家が建てられます。
こんなサイト↓もあります。
http://suigetu.eco.to/house_top.html
まあ、お遊びですけどね。

Posted by: LIN | August 21, 2006 at 14:51

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