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September 01, 2006

『小説のストラテジー』by佐藤亜紀

小説のストラテジー

フィクションとは、作者と読者が互いの手の内をうかがいながら
丁々発止とわたりあう、遊戯的闘争の場である。
超一流の書き手にして読み手が、古今東西から選りすぐった実例にもとづき、
その戦略・技法の全てを具体的かつ実践的に伝授する。(帯より)

小説も、音楽や絵画と同じ芸術であり
同じように楽しむべきだといってるんだと思う。
小説にはストーリーがあるので、ついそこに目がいきがちだけど
音楽や絵画と同じように「感じろ」ってことではないだろうか。

そもそも私は、小説を語る際、ストーリーを云々することに
違和感を感じている。
ストーリーは作品のおまけに過ぎないんじゃないかと。
著者は、
「物語が必要なのは、そこから記述を生み出すため」(57)
といっている。

また、音楽に、“リピート”や“転調”があるように
小説にも、構造美というものがあるので、
それを堪能するべきのようだ。
が、これについて私は違和感を感じた。
それは、まるで、茶道において、茶器を楽しむようだと
思った。(表面的)

一番、驚いたのは
「小説は哲学上の真を語らない」ということ。
私は小説に、哲学上の“真”を求めていたのかもしれない。
哲学というのはむずかしいから
それを易しく大衆に伝える手段のひとつとして
小説があるんだろうと思っていた。
しかし、小説はどこまでいってもフィクションであり
表現や様式の美を楽しむもののようだ。
(ここでいう“真”とは、プラトンのいう“真”なのだが
プラトンは「理想国家から詩人は追放されなければならない」と
主張した。)
「書くことで何かプラトン的な真を教えることができると錯覚した書き手と
読むことで何かプラトン的な真を学べると錯覚した読み手」(143)

また著者は、バフチンが語った小説の出自に関する文章を例に出し
こう続けている。
「近代の言語そのものが多様性へと向かう自壊的傾向ないし
遠心力を孕んでいた」
「近代文学が終わって、というか、中心化の英雄時代が過ぎ去って
素町人の文学が栄えるのは、ある意味では当然です」
「士族と国家エスタブリッシュメントの近代文学にしか興味のない方は
背を向けて立ち去ればよろしい」(146)

かなり、むずかしかったので、誤読しているかもしれないが
結局、著者は、「小説はただ表現や文体を楽しめばいい」と
いっているのだろうか?
だとしたら、それは、私が小説に求めているものとは違う。

本よみうり堂に、先ごろ、死去したノーベル文受賞作家
ナギブ・マフフーズ氏のことばが紹介されていた。

「イスラムと西側との『衝突』は不可避ではない。文明は『対話』できる」

「文学は、人間の存在、人間を取り巻くものの美しき解釈であり、
生きとし生けるもののすべての記録である。
文学の役割が、人間間のコミュニケーションを図ることにあるとするならば、
文明間の最良の対話は、文学を通じてなされるはずである」

私も、そう思っている。

<読書メモ>
142
同一言語の使用者として規格化し、
国家に従属させることこそ、近代文学の課題だった。

144
「近代文学」が存在したり、それが「終わった」と論じたりする前に…

柄谷氏のこと?

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Comments

面白い評論なので、コメント書きます。随分といろいろな本を読んでいるのですね。すばらしいです。佐藤亜紀さんというのは「ボディーレンタル」を書いた作家でしょうか?

文学に対する刺激的な箴言がありますね・・・
私も下記のアドレスでココログにノベルを連載し始めました。よかったら批評していただければ、うれしいです。これからどんな方向書こうか、近頃少し立ち止まっています。ストーリーの結末ははっきりしてます。テーマも明確。人物の輪郭も濃厚。点と点を結ぶ人の動きかな???立ち止まって考えてます。

http://sasuganogyosui.cocolog-nifty.com/

Posted by: 流石埜魚水 | September 01, 2006 at 10:43

こんばんは。epiです。
『小説のストラテジー』は未読ですが、LINさんの記事を拝見して思うところがあったので、少しコメントします。

>小説も、音楽や絵画と同じ芸術
殆ど同じだと思いますが、一つ違うのは、音楽や美術はその構成要素の意味が分からなくても楽しめますが、言語芸術の場合は書いてあることの意味が分からなくては楽しめないという点です。
言葉は必ず意味をもっており、音符や色、形態とはそこが決定的に違います。なので、小説を音楽や美術と同一視すると誤ってしまう場合があるかもしれません。

また、ストーリーは重要な要素だとわたしは思うのです。「この先どうなるんだ?」と思いつつ、ページをめくるどきどきわくわく感こそ読書の原点にして醍醐味だと。ドストエフスキーやスタンダールといった大作家の小説は、現代人が読んでも、展開にわくわくしますよね。すごいなあって思います。

>私は小説に、哲学上の“真”を求めていたのかもしれない
もしかすると本の中には、真実はないのかもしれません。
プルーストは、真実はページとページの間ではなく、一人一人の人生の中にある、と書きました。作家という他人の考え出した真実は、作家本人にとっては真実であっても、読者にとってもそうとは限りません。

わたしの好きな作家の一人、松浦寿輝さんもエッセイの中で、「文学は終ったなどと安易なことを口走る馬鹿がときどきいて腹が立つ」と書いていました。これも柄谷さんが念頭にあったのかな…
「終った」と思う人には終っているのだろうし、そうでないと思う人にはそうでないのでしょうね。わたしは後者です。そもそも、人間が生きている限り、文学が終るなんてありえるのかな?と思います。それは変容というのではないかと。

おこがましいようですが、おすすめさせてください。
みすず書房からE・M・フォースターの『小説の諸相』という本が出ています。小説論の古典です。もし、LINさんがまだお読みでなかったら一読されてみてはいかがかと思います。ケンブリッジの学生たちに対してフォースターが行った小説に関する講義を本にしたもので、英文学が中心ですが、ユーモアをまじえて読みやすく、すぐれた文学論になっています。バルトのような記号論的な文学論ではないので難しく感じることはないと思います。よい本です。安価ではない本なので図書館で読まれては。

また、プルーストの読書論も未読でしたらいつか読まれてみてはいかがでしょうか。絶版ですが、ちくま文庫の『プルースト評論選2』の「読書について」か、アラン・ド・ボトン著『プルーストによる人生改善法』の巻末「本をやめる方法」に載っています。

長々と失礼しました。
ふだんこういう難しいお話には参加しないのですが、LINさんがいろいろ考えておられるようなのでつい。
こちらには、とても博識な方も来られているようなので、わたしは恥をかかないうちに退散します…。では。ごきげんよう。

Posted by: epi | September 01, 2006 at 20:22

こんぱんは。
プラトンの『国家』は非常に長いので読むのがつらいですが、
とても面白い内容です。そして、極めて文学的だと感じます。
訳としては、岩波の全集版が手頃だと思います。
でも、絶版なので大きな図書館に行かないとダメでしょうか。
いつもながら、すみません。

Posted by: 多摩のいずみ | September 01, 2006 at 23:11

こんばんは。
私のピアノの先生は、美術と音楽を比べて、美術は静止している芸術、音楽は流れていく形を持たない芸術と言います。
演奏はもちろんですが、CDやレコードなどMPなどで記録されたものも、聴き手に、全体像は掴めません。時間の流れの中に消えていきその美しさや味わいは瞬間の感動でもたらされます。また心の中をかけ抜けた残像として。
その点、静止している絵画や彫刻などの美術は全体をいっぺんに見ることが出来、またいつまでも眺め続けることが出来ます。時間がとまった静謐さを持って。

なので、音楽、美術は、少し楽しみ方が違うように思いながら味わってます。
小説は、読み進めて行くうちは音楽に近いですが、読み終えてからは、美術に近いように思います。
小説の読み方もいろいろあるなぁとLINさんの記事をを読ませてもらって思いました。
私にとってストーリーは重要な要素かもです。だって、ストーリーに興味がもてないと読んでるうちにすぐ眠たくなってしまうんだもん。(*^。^*)

Posted by: ワルツ | September 02, 2006 at 01:35

>流石埜魚水さん
コメントありがとうございます。
小説を書いていらっしゃるのですね。
>佐藤亜紀さんというのは「ボディーレンタル」を書いた作家
今、調べましたら、『ボディ・レンタル』は佐藤亜有子さんという方が
書いたようです。
佐藤亜紀さんは有名な作品というと『バルタザールの遍歴』でしょうか。
この作品で日本ファンタジーノベル大賞を受賞されてます。
>よかったら批評していただければ…
私は読み方も偏ってますし、ターゲットゾーンも狭いので
あまり参考にならないかと…(・∀・;)
そのうえで、ちょっと読んだ感想ですが、
まず、タイトルがすでに苦手だったりします。
たとえば、上記にあげた『バルタザールの遍歴』だと
「バルタザールって何だろう?」「どんな遍歴なのかな?」と
わくわくするわけですが
『ひまわり先生、大事件です』というタイトルだと
「子供向けかな?」と思ってしまうかなあ、私は。
また、導入部ですが、説明になってしまっているように感じます。
もっとストーリーとして展開しつつ、登場人物の背景を
読者にわからせる方法があるように、私は思います。
ああ、初めてコメントくださった方に、こんなにずばずば申し上げて
すみません(;´Д`)
ぱっと見た感想ですので、あまり気にしないでください。
そもそも、流石埜魚水さんが書こうとなさっているものが
ライトノベルだとしたら、私が批評したことは
まったく見当違いかもしれませんし…

Posted by: LIN | September 02, 2006 at 10:12

>epiさん
ご丁寧なコメント、感謝です。
何か、最近、小説論や文学論の読みすぎなのか
頭が混乱しております(;´Д`)
>言語芸術の場合
この著者は
「言語をもちいることが、言語芸術を音楽や絵画から
引き離しているように見えるのは事実」
と書いています。
つまり、「言語に引きづられてはならぬ」ということが
いいたいんじゃないかと、私は判断いたしました。
>ストーリーは重要な要素
もちろん、なくてはならないものだとは思うのですが
「この先、どうなるんだ?」という興味に引きずられてしまう作品は
何か肝心なものを見落としてしまうように思うのです。
多少、ストーリーが退屈な方が(このいいかたには語弊がありますが)
ことばをひとつひとつ噛み締められるというのか…
そもそも、作者は、私たちが読むようなスピードでは
書いてないと思うのです。
>真実はないのかもしれません。
私もそのものずばり、小説に書いてあるとは思わないのですが
作者と作品を通じ、対話していく中で、何かが見つかるんじゃないかと
思っているのですが…
>文学は終ったなどと安易なことを口走る馬鹿
これはそもそも、「文学」の定義が人それぞれ違うのかもしれません。
柄谷さんは、小説に思想がなければ「文学」でないように
思っていらっしゃるような気がします。
また、小説=文学だと思っていらっしゃる方もいると思います。
その違いかもしれません。
>E・M・フォースターの『小説の諸相』
>プルーストの読書論
ご紹介、ありがとうございます。
機会を見て、読んでみたいと思います。
>LINさんがいろいろ考えておられるようなのでつい。
本当にありがとうございます。
私が書いていることなど、文学に詳しい方たちから見たら
噴飯ものだとは思うのですが、どうも書かずにいられなくて…
私はいったいどこに行きたいのでしょう?(笑)
これにこりず、また、コメントくださいませね。

Posted by: LIN | September 02, 2006 at 10:38

>多摩のいずみさん
おお、さすが、多摩のいずみさん。
プラトンの『国家』をすでにお読みでしたか。
私も読みたいんですけど、マルクスも手がつけられないままですし
いつ、手をつけることができますやら…
老後の楽しみに取っておきましょうか(笑)

Posted by: LIN | September 02, 2006 at 10:42

LINさん、こんにちは。あわわ、今お返事書いてる最中なのですね。間に合うかな。
>音楽や絵画と同じように「感じろ」ってことではないだろうか。
同感です。そう言えば、読書においては頭をひねるより、心をひねろうと村上春樹も言ってた気がします。なんか標語みたいですが(笑)
僕自身は、ストーリーを重視しています。名作と呼ばれるものの中には、ストーリーが無類に面白いものが多いと思います。物語は、ただ楽しむためのだけのものではなくて、読者を別世界に連れて行ってその小説世界に入りこませてくれる乗り物なのじゃないかな。
でもLINさんが、ストーリーだけを重視するのはいかがなものか?と仰られることには賛同いたします。全くその通りだと思います。僕なんかは、筋だけを追って楽しんでいる。それって一番価値の低い読書だと思います。自覚はあるのですが、作者の思想に触れえるほどの読み方は全然できていないです。
そしてこれは僕の勝手な推測なのですが、LINさんは近頃の小説を念頭に置いていらしているのかなって気がします。そこにストーリーがあるだけで、作家自身の思想や主張があるように感じられないことを嘆いていらっしゃるように思えます。
僕がLINさんの読書を見習いたいのは、その“問いを立てる能力”です。疑問を持つことのできるのってやはり凄い才能だと思います。
褒めたから、何か下さい(笑)冗談です。

Posted by: kyokyom | September 02, 2006 at 11:00

>ワルツさん
ああ、さすが、ワルツさん。
きっとワルツさんなら、音楽をそういう風に表現なさると
思いました。
「美しさや味わいは瞬間の感動」とか「心の中をかけ抜けた残像」とか
ワルツさんならではの表現、ステキ♪
しかし、一方で、佐藤亜紀がいいたいことも何となくわかるのです。
「渾沌とした全貌を掴みかねて途惑っていた知覚が
個々の刺激に誘い込まれ、刺激を組織化する論理を手探りし、
全体を把握し直す。」
絵画も音楽も小説も、全体の構成を知ることで、
感じる何かがあるということではないのでしょうか?
またストーリーについてですが
「物語を読み手の頭に流し込みたければ、
粗筋だけをできるだけ短くまとめればいいのです。
それをわざわざ小説に書き伸ばすのは、物語を伝えようとするからではなく、
物語を場面に展開し、人と人、人と物、人と事を出会わせ、
そこで起こる運動に言語による変速を加え、移行やコントラストで
固有の形を作り出したいからです」
(長い引用すみません 汗)
と佐藤亜紀は書いてます。
>ストーリーは重要な要素
確かにそうですよね。
私もまったくストーリー性のない作品はつらいです(;´Д`)
でもあまりに明確なストーリーがあると逆にイヤだったり。
むずかしいです(・∀・;)

Posted by: LIN | September 02, 2006 at 11:02

>kyokyomさん
そうです、まさにお返事を書いているところでした(笑)
昨夜、ラジオ、聞けました?
私は12時45分頃、「ああ、意識が遠のく~」と力つきました。
がっかり。
でも、こんなの見つけました。
http://podcast.yahoo.co.jp/series?s=4304337d2d370249d4253f0cfbe4bada
>小説世界に入りこませてくれる乗り物
おお、これはすばらしい表現です。
まったくその通りだと思います。
私がいいたいのは、でもその乗り物にずっと乗ったまま
出口までいっちゃうとつまんないよってことで
たまには降りて歩いてみようよってことなんです。
>一番価値の低い読書
いやいや、価値が低いってことはないと思います。
ただ、もっと、深く楽しむ方法があるよってことなんじゃないでしょうか。
私もできているかどうかは自信なし。
>近頃の小説を念頭に置いていらしているのかな
そうです、そうです、まさにそうです。
今、2、3時間で読み終わっちゃうような本が多いでしょう?
あんなのを読んで、小説を読んだ気になっていいのかという疑問があるんです。
でも、世間的にはそういうのが人気あるじゃない?
すごい違和感。
まあ、長ければいいってわけじゃないけれど、
次から次へと、ストーリーを消化して
「はい読んだ、はい次」っていう読書がどうも…
まあ、読書スタイルはそれぞれ違うんだからほっとけよって気もしますが
そういう安易な小説の読み方って、生き方にも影響、与えない?
って思っちゃったり…
>何か下さい(笑)
金ののべぼう、送っときま~す(笑)

Posted by: LIN | September 02, 2006 at 11:33

LINさん、再びお邪魔します。
いやあ、僕も昨晩のラジオは、途中で寝てしまいました。正直言うと、伊集院の深夜のバカ力を聴ければ、問題なしって感じでした。大田光は、話すことに充実した内容がありますが、語りは、それほど巧くないように感じます。
紹介ありがとうございます。ふふ、伊集院節がここでも楽しめて楽しいです。
>そういう安易な小説の読み方って、生き方にも影響、与えない?
う、うわ。厳しすぎますよ。LINさん、敵をつくっちゃいますよ(笑)僕もその通りだと思いますが。小説を読むことが、ファストフード食べるみたいな感覚ですかね。
のべ棒、受け取りましたーっ(ガッシ)

Posted by: kyokyom | September 02, 2006 at 19:55

LINさん、こんばんは、、。
ユリイカをぱらぱら見ていたとき、この佐藤亜紀さんの連載
に気付きました。
 もう纏まって、単行本化したんですね、、。
佐藤亜紀さんも、知の巨人だから、難しいこといっぱい書いている
のだろうな、、と思ってます。
 ユリイカ自体も、読んでて完全に全部理解してませんね、、。
なんか、こういう知的なの好きです、、てぐらいで、、。

Posted by: indi-book | September 02, 2006 at 21:09

>kyokyomさん
確かに太田光は頭はいいんだけれど、話ベタという気がしますね。
伊集院は、例の糸井さんとのインタビューから好きになりました。
本当は彼の深夜ラジオ番組を聴きたいのですが、なかなか起きていられなくて。
mp3形式にラジオ録音できる機械があって、いつも買おうかどうしようか
悩みます(語学学習にも役立つんだけど)
http://suntac.jp/voicelab/talkmaster2_top/tm2_top.php
でも、そもそも私の部屋はラジオがよくはいらなくて、
J-WAVEもはいらないんですよー(つД`)
>LINさん、敵をつくっちゃいますよ
ですよね(笑)
私もいつも、記事を書いてて、「あー、今、敵、作っちゃってるなあ」
とは思ってるんです(・∀・;)
でももう文学論は終わりにしようと思ってます。
>ファストフード食べるみたいな感覚
いつも思うんですけれど、kyokyomさんってことばの使い方が新鮮ですよね。
詩や小説を書いてみてはいかが?
特に、詩はkyokyomさんの繊細さとうまくマッチするような気がします。

Posted by: LIN | September 03, 2006 at 09:45

>indi-bookさん
そうそう、これ、ユリイカで連載されていたんですよね。
7月号まで連載していたものを書籍化ですから、
連載終了を待つようにして、表紙のデザインなんかも
すべて準備されていたのでしょうね。
>難しいこといっぱい書いている
そうなんですー、むずかしかったですー(つД`)
indi-bookさんはユリイカを定期購読されているのでしょうか?
私は1冊だけ(カフカ特集)持ってます。
デザインも変形でなかなかおしゃれですよね。

Posted by: LIN | September 03, 2006 at 09:51


またまたコメント読まずにコメントしちゃいますが、音楽と文芸は似ていると思います。もちろん文字は「読む」という行為が必要なのですが、単に字面を追うだけでも「読む」ことになります。それは音楽を「聞く」のではなく能動的に「聴く」のと同じ位相でなされているはずです。文芸を研究するとなると深く掘り下げて「文学」になるわけですが、同じことは音楽も美術も同じようになされています。私は文芸が好きですが、文学を何か特権的な地位に置きたがる文学至上主義者は、少し苦手です。哲学に最も近いところにいるという「文学界」の自意識にも虫酸が走ります。カントやゲーテが思考を重ねた対象は、文芸ではありません。美術は、写真や彫刻や書と似ていますね。映画と舞踏は、また異なってきます。

「思想がないから駄目だ」と貶された谷崎潤一郎の小説は、思想を語っていないからこそ、おもしろく、美しく、そしてすばらしい日本語による文芸作品だと思います。また、思想で織り成された文芸作品もあります。つまり、文芸を思想の手段にするのは、別にどっちでもいいことです。というかこれは著者のスタンスを表明(いじわるな言い方をすれば自己正当化)しているに過ぎないのかもしれませんね。「そんなものを私の小説に求められても困る」といった感じで。

また、文学の役割や意義は、そんなに大層なものではないと思います。私は、単語が差し替え可能な文章には感銘を受けません。何かすばらしいことを言っているようで、その実何も言っていないからです。たとえば「音楽は、人間の存在、人間を取り巻くものの美しき解釈であり、生きとし生けるもののすべての記録である。音楽の役割が、人間間のコミュニケーションを図ることにあるとするならば、文明間の最良の対話は、音楽を通じてなされるはずである」という文章も、成り立ちます。「映画」や「舞踏」をあてはめても、なんとなくそういうものかと思ってしまいます。ということは、この文は文学(の特徴や目的や存在意義などなど)について何も説明されていないということになります。

さまざまな人間の営みは、極言すれば「コミュニケーション」の一言で済む/済ませることが可能です。建築家やプロダクトデザイナーや政治家も、突き詰めればコミュニケーションです。あらゆるジャンルが「これはコミュニケーションである」と主張して風呂敷を広げ、上位の営みに位置付けようとしています。だからこそ「コミュニケーション」という単語は慎重に使わなければならないと思います。

Posted by: kota | September 04, 2006 at 22:37

こんばんは。
音楽と絵画を文芸と比較するとは、随分となつかしい作業ですね。
私が高校時代にフランス象徴派の詩に熱中していた頃を思い出します。
絵画や彫刻から出発した芸術が、文芸へと昇華し、さらに音楽として完成するとは、
フランス象徴派の一部が主張したこと、というのはご存知のこととおもいます。
それに関しても、ルコント・ドゥ・リールの「感覚的な感動を排除して、
科学的に表現することによって文芸はより芸術的に高められる」という主張を
より進めたものという背景を把握しておく必要があるでしょう。
そうした「芸術的な表現」を求める活動の中で、ヴェルレーヌは音楽に接近する表現を
物にしたわけですし、思想や哲学をベースにしつつも、あくまで文芸的な完成度を
追求したのがマラルメでしょう。
その当たりは、ヴェルレーヌの『サチュルニアン詩集』や、マラルメの『詩集』
あるいは『サイコロの一投』などをお読みになると、理屈ではなくお分かりになると思います。
また、「思想があるからこそ文芸はすぐれたものとなる」という主張には、
当然ながら私は違和感を覚えてなりません。
もちろん、思想をテーマとした作品で名作は膨大にあります。すぐに思いつくものとしては、
ドストエフスキーの『罪と罰』や『悪霊』、
埴谷雄高の『死霊』などがあるでしょう。しかし、思想がベースでも、
横光利一の『旅愁』のような駄作もあります。
私個人の経験では、あまり肩を張らずに、酒を飲むように風景を眺めるように読書すると、
『古事記』も『コーラン』も『ドグラ・マグラ』も面白く読めるようになるようです。

Posted by: 多摩のいずみ | September 05, 2006 at 00:22

>kotaさん
>文学の役割や意義は、そんなに大層なものではない
やはり、そうなのでしょうか。
この本に
「芸術がわからない人はいる。
しかしわからないことが判明しても大した問題ではない。
音楽がわかるより、絵が楽しめるより、小説を味わえるより
はるかに大切なことはいくらでもある。」
と書いてあります。
私もそのわからない一人かもしれないという気がしてきました。
考えてみると、小説に意味や哲学を求めるのは
芸術のわからない人間がやることなのかもしれません。
ナギブ・マフフーズ氏のことばは、これだけを読むと
そういう受け取り方をされてしまうかもしれませんが
きっとことばづらだけではない深い意味があると思います。
ちなみにサミエル=ハンチントンの『文明の衝突』を批判したインタビューの中で、
「文明は衝突することから融和へと向かう……。その推進は『文学』だ」
とおっしゃったのだそうです。
ことばや表現を味わうことが文学であり、
そこに意味を見出さないものなのなら、
私はわからなくてもいいかなあ。(負けおしみっぽいですけど 笑)

Posted by: LIN | September 05, 2006 at 09:42

>多摩のいずみさん
>フランス象徴派の一部が主張したこと、というのはご存知
いえ、ご存知じゃないです(笑)
でもサティの作品を見ますと、その流れはわかるような気がします。
>当然ながら私は違和感を覚えてなりません
うーん、やっぱり、多摩のいずみさんもそうお考えですか。
思想という大袈裟なものではないのですが、
哲学というか、信念というか、そういうものが作品の根底に
流れていてほしいなあと、私は思ってしまうのです。
上のkotaさんのコメントにも書いたのですが、
それもみな、私が芸術がわからない人間ゆえなのかもしれません。
私はつい最近まで、小説は年に1冊読むか読まないかの生活でしたし
絵も正直、よくわかってないと思います。
音楽はわかっていると思いたいですが…
>酒を飲むように風景を眺めるように読書する
ノンフィクションはそういう風に読めるのですが
どうも小説には敵対心があるようで(笑)
人生は真剣勝負だと思ってますので、
小説の登場人物の行動を見ていると
「実生活ならそんな行動するわけない」と
腹がたってきちゃうんですよー。

Posted by: LIN | September 05, 2006 at 10:02

こんにちは。
あえて「思想が文芸を芸術的に高める」ということを考えるなら、
それは文芸作品自体が思想であり哲学だと言うことができると思います。
つまり、哲学書においては、文章は単なる入れ物、器に過ぎませんが、
文芸作品ではレトリックや文章そのものが哲学であり思想であると
感じます。
その一つの形が、ドイツ表現主義であり、日本の浄瑠璃や歌舞伎であると
思うのですが、如何。

Posted by: 多摩のいずみ | September 05, 2006 at 15:00

>多摩のいずみさん
>哲学書においては、文章は単なる入れ物、器
私、梅原猛さんの本とか、
ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』とか、
小説ではないけれど、すごく文学的だなあと感じるのです。
結局、書いてあることが事実か虚構かの問題ではないのかもしれません。
昨今の小説が楽しめないのは、やはり浅いと感じてしまうからなのでしょう。
ドストエフスキーを読む時に、虚構かどうかなんて気になりませんもの。
それに比べ、最近の日本の小説はあまりにひどい。
そして、それらが喜ばれて読まれている現況に疑問を感じ
私の一連の発言になったんだと思し召しくださいませ。
ドイツ表現主義というのは知りませんでした。
ちょっと検索してみたのですが、よくわかりませんでした(・∀・;)
「表現主義運動の主体である若者は、
ドイツ人のあらゆる隷属本能の源泉を厳格な家父長制度にあると考え、
父権や伝統的権力に対する激しい反抗を見せ…」
なんてのを読むとカフカ?って思っちゃいますが。

Posted by: LIN | September 05, 2006 at 18:17

こんにちは。高度な議論が展開されていて、参考になりました。

>>小説も、音楽や絵画と同じ芸術
>殆ど同じだと思いますが、一つ違うのは、音楽や美術はそ
>の構成要素の意味が分からなくても楽しめますが、言語芸
>術の場合は書いてあることの意味が分からなくては楽しめ
>ないという点です。

鋭い指摘だと思います。
小説における構成要素である言葉も、文脈や読み手の能動性
によって変化するもので、言葉と意味が一対一対応しないと
いう観点からすると、音楽におけるモチーフ、フレーズなど
に近いのではないかと思いました。
言語学ではディスクールとか言うんでしたっけ。

私はへたくそサックス吹きなのですが、私のアドリブなどは
語彙貧弱あるいは文字化けした文のようなものかも知れない
なといつも感じています。

ところで、このたび佐藤亜紀氏のファンサイトを立ち上げてみました。

まあ現状リンク集+スレッドフロート式掲示板だけなのですが。

ネットで書評などを見かけるとリンクしています。
こちらのページもリンクさせてくださいね。

サイトの方にも遊びに来ていただけると嬉しいです。
その際には、是非是非掲示板の方にも足跡をつけて行ってくださいませ。

皆さんのような高レベルな論者が来てくれると佐藤亜紀ファ
ンのコミュニティーも盛り上がるんじゃないかと期待してい
ます。

Posted by: ファンサイト管理人 | January 13, 2007 at 12:30

>ファンサイト管理人さん
訪問ありがとうございます。
私は佐藤亜紀さんの作品は『バルタザールの遍歴』と
この『小説のストラテジー』しか読んだことがないんです。
『戦争の法』が積んでありますが…
この記事を書いた頃は、「小説とは何なのか」というテーマに
とりつかれてました。
フィクションの存在意義とでもいうのでしょうか。
結局、今は、小説を読むことから遠ざかっております。
掲示板運営、がんばってくださいね。

Posted by: LIN | January 15, 2007 at 11:39

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