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May 16, 2007

『文学全集を立ち上げる』『ガリヴァー旅行記』

恩田陸と森見登美彦が山本周五郎賞を受賞したというニュースに
「ジーザス、お前もか」とうなってしまったわけだが、
当該作品こそ読んでいないが、
二人の作品を多少とも読んだことがある私が抱いたのは
「今後、日本の文学はこういった口当たりのいい作品を書く作家が
主流を占めていくのか?」
という危惧、いやすでにあきらめに近い感情である。
二人に限らず、ここ10年で人気の出てきた作家の作品は、
そこにSTORYはあるけれど、STORYしかないと感じるのである。
何かが足りない…
(それが何なのか、文学評論的ことばでかっこよく表現したいのだが
そんな力があれば、とっくに評論家になっているのである)
ことばがうわすべりしているとでもいうのだろうか。
しかし、今の日本人にはそういう作品こそが求められているというってことなのか?
簡単にことばをカット&ペーストできる
パソコンという入力装置も原因のひとつだろうか?

文学全集を立ちあげる丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士の3人が
まったく新しい文学観、そして「いま読んで面白いもの」という大原則で、
世界・日本文学全集(古典・現代)を編み直そうと対談したのが
この『文学全集を立ち上げる』なのだが、
この中で鹿島氏が次のように述べている。
「僕は1年間文藝時評をやったことがあって、その時、痛感したのは、
新人作家がいっぱい出てくるんだけれど、
彼らがほとんど昔の文学作品を読んだことがないまま
小説を書いているということでした。
小説というものの本質、技術もなにも知らないで、
いきなり新人賞でデビューする。
そして、とりあえず自分のまわりのことを2、3作書くと、
もう書くこともなくなって消えていってしまう。」
最近の作家に私が感じる違和感はこういうことも関係するのかもしれない。

そんなわけで「もっと古典を読もう」と思いたち、
「本を読む人々。」というSNSに
「古今東西の名作を読もう」というコミュニティを作ってみた。
今のところ
・『文学全集を立ちあげる』に掲載された本を読もう
・光文社 古典新訳文庫を読む
・池澤夏樹=個人編集 世界文学全集を読む
・日本名作を読む
・世界名作文学 新訳・旧訳を読む
・『完訳 赤毛のアン』を読む
・シェイクスピア
といったトピックがある。
簡単な登録さえすれば誰でも参加OKなので古典に興味のある方は是非。

ガリヴァー旅行記「もっと古典を読もう」プロジェクトの一環として
スウィフトの『ガリヴァー旅行記』を読んだ。
「ガリヴァー旅行記?子供の頃に読んだ、読んだ」という方。
あれは、原作とはまったく違うものです。
子供向け『ガリヴァー旅行記』は夢にあふれたメルヘンのお話だが、
原作の『ガリヴァー旅行記』は人間への風刺や嫌味がいっぱい。
「リリパット国渡航記」はご存知、小人国の話。
「ブロブディンナグ国渡航記」は大人国の話。
子供向けの本に書かれているのはここまで。
しかしこの後の「ラピュータ、バルニバービ、ラグナダ、
グラブダブドリッブおよび日本への渡航記」と
「フウイヌム国渡航記」がこの小説の真髄なのだ。
前半ではなりをひそめていたスウィフトの毒舌が冴え渡り
人間がいかに愚かか、英国の政治がいかにダメであるか
延々と語り続ける。
「フウイヌム国渡航記」にはヤフーと呼ばれる邪悪で汚らしい毛深い生物が
登場するが、これは人類を否定的に歪曲した野蛮種族のこと。
極端に書かれているとはいえ、この章を読むと、
人間とはこんなに醜い生き物かと愕然とする。
子供向けしか読んでいない方は原作で是非、再読を。

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Comments

私が古典を読もうと思ったのも、現代の日本の小説に失望したからというのが大きいです。
ここ三、四年ほど、意識して同時代の小説を読むようにしてきたんですけど、その中で心に残ってるものって本当に数えるほどしかないんですよね。
だったら下手に冒険するより、評価が確定している作品を読んだほうがムダがなくていいかな、と…。
超後ろ向きですいません。

ガリヴァー旅行記、近いうちに読もうと思います。
岩波しかないのでしょうか?

Posted by: Mlle C | May 18, 2007 at 00:21

>Mlle.Cさん
>現代の日本の小説に失望
同感です。
なんでですかねえ。
どれも薄っぺらい感じがするのですよねえ。
鹿島さんのおっしゃる
「新人作家がほとんど昔の文学作品を読んだことがないまま小説を書いている」
ということも関係あるのでしょうか?
>下手に冒険
私もたまに冒険心を出して、ネットで評判のいいイマドキの小説を読んでみるのですが
やっぱり何か違うんですよねえ。
>岩波しかないのでしょうか?
新潮の中野好夫訳がありますが、中野さんの訳は主語が「我輩」らしいです。
ちなみに岩波の平井さんの訳では「私」となってます。

Posted by: LIN | May 18, 2007 at 09:16

こんにちは。
なるほどなあ・・・
私はもっぱら新しい小説を乱読しています。
ここ数ヶ月で読んだ中では、「夜は短し」「きつねのはなし」は出色でした。
あと、桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」もひきこまれました。
丸山健二もよかったな。
しかし、

 >そこにSTORYはあるけれど、STORYしかない

と言われると、それもそうかなあと思ってしまいます。
 ↑
(人の意見に流されやすい性格)

なので「光文社古典新訳文庫」にも惹かれるものを感じます。

いつの時代も、古典として次の世代に残っていく作品は、ひとにぎり。
世の真実を射抜き、人生の指針となり、未来の古典となっていく作品が、
いまも何処かで誰かの手によって産み出されている・・・、
と信じたいです。
そういう作品を探し出すのも面白いです。

Posted by: 木曽のあばら屋 | May 20, 2007 at 07:33

>木曽さん
私も『赤朽葉家の伝説』も森見さんの作品も一冊、
読んだのですが…
おもしろいのでしょうけれど、頭を使わなくても読めちゃうんですよね。
するするっと。
「頭、使わずに何が悪い?読書は楽しければいい」という考えもあるでしょうけど
その考え方は麻薬常用者みたいで、ちょっと私は不気味に感じてしまうんです。
思索してこその読書で、そういう読書ができる本の著者というのは
著者自身が読者の何百倍も思索しているし、じっくり読める本なんじゃないかと
思うんです。
『光文社古典新訳文庫』は私はまだ1冊しか読んでいないのですが
このシリーズの『カラマーゾフの兄弟』はとても売れているそうです。
それが若い世代に人気があるというのですから、嬉しいですよね。
>そういう作品を探し出すのも面白い
私は読書好きだったら当然、読んでいるべき古典をほとんど読んでいないので
そういう余裕がないというのもあるかもしれないです(・∀・;)
木曽さん、「古今東西の名作を読もう」にはいってくださったんですねー。
おおいに語りましょう♪

Posted by: LIN | May 20, 2007 at 09:40

ふたたびこんにちは。

 >思索してこその読書

確かに確かに。
ポール・ヴァレリーの「文学論」に、
「最も低級なジャンルとは、我らに最も少ない努力を強うるジャンルだ」
という一節があります。
なるほどー、と思いますが、難解だから高級だと限らないのが難しいところですね・・・。

Posted by: 木曽のあばら屋 | May 20, 2007 at 12:25

>木曽さん
>難解だから高級だと限らない
そうなんですよね。
そういう選択は、一般の読者ではなかなかむずかしいので
いわゆる文学全集の類や、作家や専門家による書評の存在が
意味があるんだと思います。
ポール・ヴァレリーの『文学論』おもしろそうですね。

Posted by: LIN | May 21, 2007 at 09:12

LINさん、こんにちは
先日、スウィフトの『旅は驢馬をつれて』という本を読みました。これは名作ではないのですが、なかなかおもしろかったですよ。若いころから皮肉屋さんだったことがわかります。作品よりスウィフトのキャラがいいですね。
古典はまちがいなくいいです。でも、その先人たちがつくったものが多すぎて、新しいものが出せなくなっているように感じます。小説=古典で、もはやクラシック音楽みたいなものでしょうか。
では新しい小説の進む道はあるのかと思うと、ケイタイ小説のような新しい形しかないような。どうちがうのかうまく言えないですが、古典とケイタイ小説は似て非なるものですね。

Posted by: uota | May 26, 2007 at 06:52

>uotaさん
『旅は驢馬をつれて』を早速、検索してみましたら、
著者はロバート・L・スティヴンスンという人でした。
『宝島』『ジキル博士とハイド氏』を書いた人なのですね!
そもそもこの2冊を同一人物が書いたとは知らなかった!!!
勉強になりました。
スウィフトは“気むずかしいじいさん”という感じですよね。
政治に絶望して人間嫌いになってしまったようです。
>新しい小説の進む道はあるのか
ホント、気になりますよね、この問題は。
小説を読んで思索するにはあまりに現代は忙しすぎますよね。
音楽だって、本来はレコードプレイヤーの前でじっくり聴くものだったのに
今や、iPod無しの音楽生活は考えられないわけで。
ただ、若い人の間に古典への回帰のような動きがあるみたいで、
光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』が大変、売れているようなのです。
ただ、それも一時的なファッション感覚なのかなあという気もしますが…
「簡単に読める本ばかりが売れる」→「思索しなくなる」という方向には
いっていただきたくないなあと思います。

Posted by: LIN | May 26, 2007 at 10:31

まちがえましたぁ、スウィフトじゃなくてスティヴンスンですね。
出版社の戦略としては、古典文学を退職を迎える団塊の世代に売ろうという作戦のようです。若い人もその流れに乗ってくれるといいのですが。

Posted by: uota | May 26, 2007 at 21:30

>uotaさん
光文社古典新訳文庫は売れているし、今年は池澤夏樹さんが編集される
『世界文学全集』も発売されるし、翻訳物古典ブームが来ている感じです。
今、日本も先が見えない不安定な状況ですから、そういう時って
「古いものを見直そう」という動きになるのかなと思いました。
教養って、死後になりつつありますけれど、やっぱり必要なものなのかもしれません。
(特に若い人に)

Posted by: LIN | May 27, 2007 at 09:45

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